エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「新しい人」になれた! 子どもの笑顔  大江健三郎

2013-05-06 04:04:00 | エリクソンの発達臨床心理

 「筋立てを作る」遊びに、子どもの「時間と空間」が出てきました。今日は、Seeing is Hoping. 「見ることは、望見ること」の第5段落、p.44の7行目です。組立遊びの話題に戻ります。翻訳です。





 「中心的な葛藤が一つ」あり、その子どもが経験した「発達的な危機」の特徴を示しています。ロバートの組立の場合、そのノッポな構造は、私どもが主張したように、感情転移した自己主張を示すダンスのしぐさを表しています。その感情転移した自己主張は、両端に暗示されている葛藤やトラウマを克服するのに役立ちます。中央には、成長しつつある一人の少年のイメージがあります。そのイメージは、体格が恵まれていることと元気を、理解力や学習能力と一体にする新たな方法を身に着けようとしています。しかし、すでに記しましたように、この少年が、身体表現と勉学とに折り合いがつけられるか不安でいることは、彼の文化的・歴史的状況にも大いに及びます。この「新しい少年」は、「新しい人」、すらわち、自由になった大人の生まれたてのイメージを含みます。もしそうなら、教師の言葉は、新しい仲間たちからの支援を予言するものとして、とにかく贈り物なのです。そういうわけで、全体の出来事は、小さな世界の中で、新たに自分を確かにする要素(新しいアイデンティティの要素)を、新しい仲間たちに対する感触を感じながら試した、一つの実験なのです。しかし、このような根源的な場のテーマは、過去のトラウマと、未来の希望の側面だけではなく恐れの側面に対する解決策とを関係付ける、時の座標軸を含んでいます。ここではじめて推測できることは、この少年がその教師に対してもともと不満に思っていたことには、ある恐れが含まれていただろうということです。たとえば、僕は、こだわっている(固着した)辛い過去に運命づけられていたらどうなるのだろう? 体と頭を一緒に働かせることができなかったらどうなるんだろう? という恐れ。さらには、僕は今、小さな、新しい人になろうとして、僕の力ではどうにもならない周りの状況が、僕を助けることにどうしてもらなかったら、どうなるだろうか? 僕はつまらない人物なのかな? つまらない人物のままなのかな? 結局、くだらない人物同然なのかな? という恐れ。 それにもかかわらず、両手を広げて、天使のような笑みを浮かべ、感情をあらわに踊る姿は、新しい、特別な天分を携えた人として、誰かに時には愛されてきた感じを表しています。そのような過去の体験なしには、未来はないも同然です。このように、繰り返し悲運になりそうだったことが、現在においては、楽しい自己コントロールを通して、天が約束してくれた再生へと変化するのです。多分、人は成長したら健全になるのでしょう。そうして、愛し愛される者となるチャンスがあるのです。このような目には見えない化学式によって、実に多くの子どこたちの顔に、忘れられないほど素敵な笑顔が浮かびます(私はこれを、心の奥底から輝く笑顔、と呼びたい)。その時、組立が「できた」と子どもたちはハッキリ言葉にします。





 子どもは、遊びながら、実に様々なことをイメージしていることが、ロバートの組立遊びの例を手掛かりに、エリクソンは具体的に示してくれています。ロバートのケースはこの論文の直前の論文The Toy Stage(遊びの舞台)で取り上げられています。以前の翻訳にも一度出てきましたね。ロバートは5歳の黒人の少年で、ダンスは得意だけれども、勉強に苦手意識がありました。
 エリクソンは、発達課題とは普通言いません。今回の翻訳の冒頭に「発達的な危機 developmental crisis」と出てきましたね。その危機とは、「自分はもうだめだ」と思わざるを得ない過去の経験、トラウマに負けてしまっている状態です。
 しかし、子どもは(組立遊びなどの)遊びの中で、イメージ、話し言葉、体験を結びつける実験をすることを通して、自分の辛かった体験が、「新しい人」へと再生させてくれる体験に変わります。そのときはじめて、子どもは、「できた」と言って、ニコッと笑います。その笑顔は、エリクソンによれば、心の奥底から輝く笑顔だと言います。
 この場面は、エリクソンのキリスト者としての面目が躍如している部分です。「新しい人」は、大江健三郎同様、「エフェソの信徒への手紙」第2章15節が連想されます。子どもの言葉の「できた all done」は、イエスが十字架上で言った最後の言葉「τετελεσται all done」と同じです。それに、再生≒復活は、「天が約束して」くれているものです。
 それではまた。
 


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