現世考: #心からの願い #正気を取り戻す発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~8......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第2章。「心と身体を理解する,革命」,p.25,第3パラグラフ,3行目途中から。その前もご一緒に。
夜明け前のトラウマを負わされた人たち
私は夜や週末に,病棟で過ごすことが多かったんですが,そのおかげで,医者が短い病棟巡回では見逃してしまうことに触れることができました。患者さんたちが寝ていないときに,きつく締め付けたバスローブを着て,うろつき回って,暗いナース・ステーションに話に来ることが多かったんです。夜の静けさのおかげで,患者さんたちは話しやすかったようです。ぶたれたこと,暴力を受けたこと,性的に弄ばれたことを話してくれましたが,それが,その患者さんの親だったり,親戚だったり,クラスの友達だったり,ご近所の人だったり,しました。夜ベッドの横になっていると,助けてくれる人もいないし,オッカナイままにされて,お父さんや男友達にお母さんはぶたれるのが聞こえるし,両親が,お互いに恐ろしい脅し文句を言い合っているのが聞こえるし,家具が壊れるのが聞こえます。父親のことを話す人もいました。その父親は飲んで帰ってきて,階段を上がったところで足音が聞こえて,父親が入ってくるのを待ち,ベッドから引きずり出されて,ありもしないでっち上げの理由で罰を受けた,というわけです。寝られずに,身動きもできずにベッドの中で横になり,逃げられないことを待った,という女性もたくさんいました。お兄さんやお父さんが入ってきて,性的ないたずらをしたんです,と。
朝の巡回の間に,若い医者たちは,指導教授たちに自分のケースを報告しましたが,その儀式は,病棟の研修医たちも,黙って参加することが許されていました。若い医者たちは,私が闇夜に伺った話みたいな話に触れることはほとんどありませんでした。しかしながら,後々の研究によれば,真夜中の告白は的を射たものであると確証を与える場合が多かったんです。今は分かっていることですが,精神病の治療を受けている半数以上の人が,暴力を受け,見捨てられ,気持ちを省みてもらえず,子どもの時にレイプされたり,家族内の暴力を目にしている人たちです。しかし,こういった(訳注:発達トラウマの)体験は,医者たちの巡回では,話題に上りませんでした。私がよく驚かされたことは,患者さんたちのいろんな症状を話すときに,感情がこもらないことでしたし,自分が絶望したり,助けがなかったりする原因を理解するよりも,自殺を考えたり,自分を傷つけたりする行動に出ようとすることがあまりにも多いことです。私がショックだったことは,発達トラウマ障害の人たちが,自分ができたことや自分が願っていることに,ほとんど意識を向けていないことでしたね。つまり,自分が大事に思い,大事にし,あるいは,大嫌いな人たち,何が動機で人に関わるのか,どうして発達トラウマ障害の人たちはにっちもさっちもいかなくなるのか,どうすれば心から安心できるのか,すなわち,生活の場での環境との関係に,発達トラウマ障害の人たちは無関心です。
数年後,若い医者として,臨床の中で医学モデルの特に重症事例と向き合いました。当時私は,カトリックの病院で夜勤のバイトをして,うつ病の電気ショック療法をすることに同意した女性の身体検査をしていました。私自身が知りたがりの移民でしたから,カルテを見て,生活について質問したんです。苦痛の満ちた結婚生活,困難な子育て,中絶に対する後ろめたさを語る人が多かったんです。電気ショック療法をしている女性患者さんたちは,話すたびに,目に見えて,明るくなりましたし,話を聴いた私に対して,感情が溢れるほど,お礼を言ってくださる場合が多かったんです。正直に話して,心が晴れた後に,電気ショック療法をすることに疑問を持つ人もいました。そんな話し合いの後で,私がいつも悲しかったのは,次の朝に電気ショック療法をすれば,私たちが話した記憶がきれいサッパリ消されてしまうことを知っていたからなんです。私はこの場合はすぐにやめました。
マサチューセッツ州立健康保険センターの病棟での仕事がお休みが何日か取れると,私は医学部のカウントウェイ図書館に行くことが多かったんですが,それは,助けたいと思っている患者さんたちのことをもっとよく知るためでした。ある土曜日,いまだに大切にされる論争をたまたま見つけました。それは,ユーゲン・ブロイラーの1911年の教科書『早期の痴ほう症』でした。ブロイラーの観察に心魅せられる思いがしました。
「統合失調症の人の様々な幻覚の中で,性的な幻覚が一番多いし,最も大切です。ノーマルなセックスとアブノーマルなセックスの歓喜と喜びは,幻覚のある統合失調症の患者さんは経験したものですが,卑猥でおぞましいことを,途方もない空想が呼び起こすことは,もっとよくあることなんです。男親が精液を垂らす。痛みを伴う勃起が刺激されます。女性患者はレイプされ,傷つけられますが,それは最も悪魔なやり方でです…。このような幻覚の象徴的な意味にもかかわらず,統合失調症の患者は,実際の感覚にも反応します。」
これを読んで,私は不思議に思いました。私どもの患者さんは,幻覚が本当にあるんだろうか? 医者たちは,決まった通りに,患者さんに質問して,その患者さんがいかに混乱しているのかを記録しました。でも,もし,医者の私たちが聞かされている物語が真実ならば,「幻覚と思っていたこと」も,実際に体験していたことのバラバラにされた記憶だったんじゃないの? ということです。様々な幻覚は,病んだ脳が,ただでっち上げたことなのか? 統合失調症の患者は,自分が一度も体験していない体感をでっちあげることができるのか? 創造性と病的な空想の間に,果たしてハッキリとした境界線があるんだろうか? 記憶と想像力の間に,果たしてハッキリとした境界線があるんだろうか? こういった問いに対する答えは,今もありませんが,研究が示すところによれば,子どもの時に大切にされずに来た子ども達は,ハッキリとした身体上の原因がなくても,様々な感覚(たとえば,腹痛)を感じる場合が多いそうです。また,子どものころに大切にされなかった子ども達は,危険を知らせる声や,凶悪犯罪をしたと言って責め立てる声がいろいろと聞こえる場合が多いそうです。
病棟の患者さんの多くが,暴力や奇妙なことをやったり,自傷をするのは,不満に感じたり,邪魔されたと感じたり,誤解されたと感じた時であるのは,間違いありません。患者さん達が癇癪を起したり,お皿を投げたり,窓ガラスを壊し,カミソリやガラスで自分を傷つけました。そのとき,一つの単純な問い(あなたの髪の毛についたゴミを取らせて)に,激しい怒りと恐怖で反応しているのかもしれない,とは考えませんでしたね。ベテランの看護師さんの指示に従うのが,私のいつものパターンでしたが,その看護師さんは,いつ後退りすればいいのかサインしてくれましたし,それがだめなら,患者さんをいつ押さえつけるのかのサインをくれました。私が驚き警戒した自己満足とは,一人の患者さんと取っ組み合って床に押し倒した後で,看護師さんがやっとのことで注射ができた時の自己満足でしたが,次第に分かったことといえば,プロの医者になる訓練そのものが,オッカナイ,混乱した現実に直面したときに,事態をコントロールするのに役立つことばかりなり,ということでしたね。
堕落の道です。事態をコントロールするだけでは。
人と関わる仕事は,相手が歓ぶためにあることを忘れないのが,お客様本位,患者中心の仕事です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます