エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ: 授業の出発点

2016-08-29 07:24:19 | 間奏曲

 

 
自由自在に、いまを生きる
  「あしあと」の詩はいかがでしたか? ビーチのお土産にどうぞ。 Young Man Luther 『青年ルター』p.221の第4パラグラフから。   ......
 

 今日も、林竹二の言葉から。「教師には2つの源流がある」 『運命としての学校』(1983)から。

 

 

 

 

 

 授業の中でも、教師というものの存在には、子どもの心を開かせないものがある。これは教師個々の責任ではないかもしれない。制度的、大勢的に、やはり、教師は、一種の権力者的位置に立たされているものでしょう。たとえば評価という問題がある。さらに一定の教えるべきことが与えられている。そして、前に坐っている1個の人間としての子どもでなく、その教えるべきこと授業の出発点になっている。そのために教師は子どもが持っているものを授業の中で引きだすことかできないということにもなるこれは大変悲しいし不幸なことだと思います。

 

 

 

 

 教育の皆さん、あなたの授業の出発点は、子ども? それとも、「指導」案?

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 発達トラウマ障害(DTD)の集... | トップ | #悲しい話を聴き続けるのに必... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿