ヴァン・デ・コーク教授の恩師のジュディス・ハーマン教授 Judith Hermanが、昔出したTrauma and Recoveryが、2015年にエピローグを付けて再版されました。そのエピローグで、今翻訳しているヴァン・デ・コーク教授のこの本は、「記念碑的な書籍」と、恩師も認めてくれている書籍であることが解かりました。
発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.133の、3番目のパラグラフから。
マリリンが自分の記憶と繋がりを取り戻し出した時、子どもの頃の寝室の壁紙がフラッシュバックで思い出されました。壁紙は、8歳の時に父親からレイプされた時に、マリリンが自分の意識を集中させていたものだ、とマリリンは解かりました。父親から性的虐待されることは、マリリンはとても怖くて、我慢の限界を超えていましたから、その体験を、記憶の引き出しから追い出す必要があったわけです。結局、マリリンはこの男、この父親と共に暮らさなくてはなりませんでしたし、この父親はずっとマリリンを性的に虐待し続けたのでした。マリリンは、母親に庇って欲しいと頼んだことも思い出しました。しかし、マリリンが母親のもとに走り寄って、母親のスカートに頭を隠して、隠れようとした時、母親は強く抱いてはくれませんでした。その時、母親は黙ったままでした。他の時は、母親は泣いたり、マリリンを怒鳴ったりして、「お父さんが怒りますよ」などと言ったんですけれどもね。怯えた子どもは、自分を守ってくれる人が一人も見つからずに、シェルターに助けを求めたわけです。
マリリンが性的虐待の体験を解離(転換)していたのは、その体験がとても怖かったので、通常の記憶の引き出しに仕舞えなかったから、というようなことは、よくあるパターンです。
家族の中で1人の闇が深いと、家族全員が闇の中にひきづりこまれることはよくあることですね。父親が自分の子どもを性的に虐待するような人の場合、それに見合う奥さんをちゃんと見つめている、ということは、無意識の恐ろしいほどの「慣性」、「変わらない性質」です。
家族の中だけの力では、すなわち、外からの何らかの介入がない限り、これ「慣性」、「変わらない性質」が変わることは、非常に稀でしょうね。
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