昨日,NHKの「こころの時代」で,ミャンマーのマ・ティーダさんのお話を伺いました。そこで,葬式仏教とは,対極的な,日常生活を礼拝にした仏教に出合い,目が開かれた感じでしたね。
獄中で,6年近く,ヴィパッサーナ瞑想を実践して「自由」を得たというマ・ティーダさん。このヴィパッサーナ瞑想の実践の話を伺って,これはまさに,エリクソンの言う≪私≫の感性であり,イエス・キリストの教えそのものだと思いました。
それで,「涅槃」と訳されてるニルヴァーナと,「聖霊」と訳されているプネウマの違いもない,と感じましたね。
実は,同じ1つの実体を,別の体系で,別の言葉で言っているだけ,という印象を得ましたね。
いずれも目指すのは,心からの自由と優しさです。
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