パレーシアは社会的であるばかりではなくて、倫理的でもあるとのこと。
3 『バッコス』[紀元前407~406]
『バッコス』では、非常に短い一節、転換点があり、そこに「パレーシア」という言葉が登場します。ペンテウスの使用人の一人が、羊飼いであり、王への使者でもあったのですが、マイナスたちが地域で作り出している混乱と無秩序と、やらかした狂乱について報告します。しかし、ご存じのとおり、よい知らせをもたらす使者は、運んだニースの代価をもらうけれど、悪い知らせをもたらすものには、罰を与えるのが古くからあるシキタリです。ですから、その王の使用人は、悪い知らせをペンテウスに知らせるのは、注意が必要でした。ところが、この使者が「私は『パレーシア』を用いてもいいか、自分が知っていることをすべて話していいか」と王様に問いました。なぜなら、この使者は王様の激しい怒りを恐れたからです。そこで、ペンテウスは、その使者が本当のことを話しても、困らない、と約束しました。
羊飼い : 聖バッカスが、まるで一群の若枝のように、はだしで、狂ったように、町の門から出ていったのを、わたくしは見ました。私がこちらに参上したのは、あなた様、ご主人様と、町に、バッカスの奇妙で恐ろしい所業をお話ししようと思ったからです。それはびっくりしたではすみません。しかしまず、そこで起きていることを自由にお話しししていいのか、それとも、自分の言葉を削るべきなのか知りたいのです。私が恐れるのは、ご主人様、あなたの短慮ですし、あなたの怒りですし、あなたの強い忠誠心です。
ペンテウス : 私を恐れることはない。お前が言わなくてはならないことをすべて言うが良い。正直であれば怒らない。バッカスの儀式の話が恐ろしければ恐ろしいほど、女を悪の道にそそのかす男に対しては、それだけ重たい罰を下そう。
権力を持つ者に対する「パレーシア」が大事なことが、ここでも示されています。
このブログを安倍晋三首相にも読んでもらいたいですね。
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