エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

自由の身となる モラトリアム卒業宣言

2014-01-10 03:09:07 | エリクソンの発達臨床心理

 

 モラトリアム 支払い猶予期間の卒業は、本物と自分のミッションに気付くときでしたね。

 

 

 

 

 

 自分のミッションでもないものに傾倒しすぎているという苦境を証言するものとして、一人の老人の証言を引用させてくださいね。この方は、自分のお若いころを振り返って、「災難があろうが、失敗しようが、自分がやっていることを止めようとは思わなかったね。そうじゃなくて、やってることがばかばかしくなった時初めて、それまでやってたことを止めたんだ」と認めざるを得ません。「なぜか、機は熟しているのに、その出来事をネタに生きているのであって、自分でその出来事を生きているのではない、と感じていたのです。」苦境に陥っている人は、一人寂しく、しかも、頑固な支払い猶予期間・モラトリアムを経験しがちですが、その期間は、その苦境そのものに内在する、創造的な可能性の息の根を止めているのです。ジョージ・バーナード・ショーが、自分が体験した危機について、キッパリと、出し惜しみせずに、述べていますね。

 「私は思いがけず成功していましたし、びっくりでしたが、仕事も、値打ちのない偽りの自分を演じるものとして放逐するのではなくて、私を手放すどころか、私を捉えて離しませんでした。ですから、20代、仕事の訓練をしている私をよく見てください。その仕事は、正気の人なら逃れることのできないものが嫌でたまらないと思うのと同様に、心から嫌でたまらなかった仕事でした。1876年3月、ついに私は自由の身となることができたのです。」

 

 

 

 

 

 支払い猶予期間では、災難や失敗があっても、やってることを止めることができません。その期間に仕事が成功していても、嫌でたまりません。わがまま? いえいえ、そうではありません。一時は、取りつかれたように、熱に浮かされたようにやっていても、それがミッションでなければ、すぐに止められます。ところが、成功していても、それがミッションでなければ、いやでいやで、たまらないのです。

 本当の事って、矛盾と二律背反の塊ですね。

 支払い猶予期間は、本物とミッションに出会うとき、偽りの熱と熱心から、そして、偽りの成功から、「〇〇年〇月、ついに私は自由の身となることができたのです」と言えるのですね。

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