1人静かな時間(とき)の中、声が
ささやく。 声の温もり
肌身にしみて、僕の心は
遊びだす。
1人静かな時間(とき)の中、光
輝く。 あの輝ける
東目ざして、僕の心は
旅に出る。
光の時間(とき)ほど
僕らを生かしてくれるものは、ない。
その舞台には、こういったやり取りのすべてが起きた前景に、2つの扉の枠があって、背景に続く2つの部屋に繋がっています。 マリアの後ろの扉の枠は、マリアの寝台をあらわに見せます。もう一つの扉の枠は、私どもの目を、また別の2つの枠に引き付けます。町に面する窓と、それに加えて、丸い羽目板のある、開いた3連祭壇画です。この3連祭壇画は、その明るさの故に、もう一つの窓 window(1つの「息吹きの目wind-eye」)と見まがうばかりです。その3連祭壇画も、光の出現を前にして、跪く人物を示しています。そして、私どもは思い出すのは、東に向くことが、この世で「正しい方向に向いて生きる(オリエンテーションを与えられる)」ことを意味している、ということです。この世にあっては、夜の闇は、夜明けが来て、必ず開ける のです。
solitudeの時間を一人静かにすごして、私の声に耳を傾けて聴いていると、私は育っていきます、と申し上げました。そして、どう生きるのかと言う方向性も決まってくる、とも申し上げました。その方向性は、まず心の中のオリエンテーション、見当識の訳語が与えられている、心の向き、として現れます。その心の向きが、生きる姿勢にも表れて、生きる方向性が決まってくるのです。エリクソンが今日教えてくれているように、その向きは、東向き(オリエント[東]を向いている、オリエンテーション)です。ですから、たとえ、闇があっても、必ず光がやってくるのです。いえ、闇の中にこそ光がある、というわけです。現実がたとえ闇のように見える時でも、光があると信頼して生きる、ということです。
最近、サザンオールスターズの原由子さんが、
♪ 深い闇の中から
希望のかけらを探し出せ
ラッタラッタラー ♪
と歌っています(「人生の散歩道」、「ピースとハイライト」所収)。実に愉快ですね!
♪ ラッタラッタラー ♪ と陽気で楽しくやりましょうよ!
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