人間にとって、一番大事な、人を大事にすることそのものが、バラバラになっているところに、今という時代の病理があります。
p87下から4行目から。
神経症的、人を大事にする思いの根っこにある条件は、「大事な人」の片方、ないし、ご両人が、いまだに、1人の親に対する愛着が残っちゃってて、かつて父親か母親に対して抱いていた、いろんな気持ち、期待や恐れを、その大事な相手に対して、大人になっても、投影している、ということですね。関わる人は、赤ちゃんのような関係から、抜け出すことが決してありませんし、大人になっても、関わり合う人の情緒的な求めにおいては、赤ちゃんの時のパターンを求めちゃうんですね。こういったケースでは、その人は、情緒的に言ったら、2才とか、5才とか、12歳の子どものまんまです。もっと重症なケースでは、情緒的に未熟であるあることが、対人関係で人様のお役に立てないことになりますし、それほど重症でないケースでは、役に立てない葛藤が、親しい間柄の人にだけに限られます。
情緒的に育たないのは、今日のエリクソンではないけれども、≪やり取り≫がないからです。そうすると、情緒的に育っていない人は、無意識裡に投影(投映)することに、毎日、嵐に吹かれるように、振り回されるようになりますよね。ですから、大人になっても、家庭でも、職場でも、ご近所でも、≪やり取り≫ができません。その回復のためには、いくつになっても、赤ちゃんの頃の、0才の頃の≪やり取り≫からやり直さなくちゃなりませんからね。
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