岡田尊司さん。『愛着障害』や『発達障害と呼ばないで』など、毎月一冊くらいのペースで本を出しているのじゃないののかな? と思うほど、精力的に本を出しています。岡田さん、日本の教育について『子どもが自立できる教育』という本も出してます(小学館文庫)。
その一文に、なるほどなぁ、と感じたところがありましたので、少し長いのですが、ご紹介したいと思います。
「ヨーロッパの教育でとても重視されるもので、日本では軽んじられているものとして、主体性と責任感がある。主体性を尊重してはじめて、本来の責任というものが生じるし、育っていくことになる。教師が主導し、それに服従する生徒がよい生徒であるという意識が強い日本では、生徒の主体性は口先では称揚しつつも、態度や深層心理ではうっとうしがられるところがある。やはり教師の話をよく聞き、指示したとおり行動する生徒がよい生徒とみなされるのだ」
残念ながら、岡田さんのご指摘通りの学校が実に多いですね。でも少数ながら、子どもの主体性を育てようとしている学校もありますので、併せてご指摘したいと思います。今日は、多数派の学校と教員のことを話題にします。「愛着障害」の子どもか多い今の学校は、一斉授業をしても、授業に集中できない子どもが、ビックリするほどたくさんいます。一対一の信頼関係、愛着関係ができていませんから、愛着障害の子どもは、親や教員と共に、第三項目に入る、授業、校則、ルール、宿題、持ち物、時間割、年間行事などが、基本的にできません。つまり、一対一の関係ができないのに、三項関係の中で何かをするのは無理なんですね。ですから、この子どもたちは「無秩序」に見えますね。あるいは、教員の指示に従う「良い子」を演じる子も結構多い。
主体性と言っても、その前提には信頼関係がありますね。信頼こそがすべての発達の基だからです。「無秩序」や「良い子」も信頼が欠けていることで共通します。ですから、子どもが主体的に生きていくためには、信頼をもう一度、子どもひとりびとりにプレゼントする関わりが必要です。それが、≪約束≫です。
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