思い違いだらけ、ニッポン!「がんばれ、ニッポン」。東京オリンピック招致成功この方、また、耳にする機会が多くなった掛け声ですね。でもね、今日のは「思い違いだらけ、ニッポン」。ゴロが悪い。...
ルターもひどいことに加担した形になったのにもかかわらず、受難者でした。
Young Man Luther 『青年ルター』p.243の、4行目途中から。
ルターは、私家版の殉教を作り出しましたし、その殉教を承知していました。「ローマ教皇も、ローマ皇帝も、私をめげさせることなどできなかったからこそ、悪魔が必要だったのです。悪魔がいて、敵がいるからこそ、力は長続きするわけです」と。ルターは、このように、悪魔(「地獄の皇帝」と呼んだが)のことを、ルターの死刑執行人と呼びました。悪魔はますます人格化した存在となり、ルターは「キリストの素敵な知らせを伝えるもの」であり、「ドイツの預言者」であったのに、ルターを迫害する存在になりました。
ルターは、当時「圧倒的存在」と思われていたローマ教皇と神聖ローマ帝国皇帝を向こうに回して戦ったところに、真骨頂があります。メゲナイ存在です。そうなるためには、殉教も覚悟する、「受苦的存在」であることが必要でした。
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