思い違いだらけ、ニッポン!「がんばれ、ニッポン」。東京オリンピック招致成功この方、また、耳にする機会が多くなった掛け声ですね。でもね、今日のは「思い違いだらけ、ニッポン」。ゴロが悪い。...
いまを生きているようで、知らないうちに過去に自分が体験したことで、折り合いがついていない経験に、いつも戻ってしまってる、ということは、日常茶飯事であることの方が普通です。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p95の、2行目途中から。
こういった関係で、面白いのは、すべて人間に大人の責任ある態度を求めることが、前世紀の人品の一部だったことです。このようにして、1844年の原稿で、カール・マルクスが主張したことは、あらゆる自然が新しくならなければならないように、人もまた、自分が新しくなっていく行為、すなわち、歴史を持たなくてはならない、ということでした(タッカー 1961)。なぜなら、「何かになる行為」に対して、マルクスはEntstehungsaktという言葉を用いています。その意味は、意識的に「新しい存在になること」、「立ち上がること」、「何かになること」を組合わせた意味になるからです。そこには、その種が成熟するというハッキリとした意味があります。
エリクソンの主張もハッキリしています。大人になることは、新しい存在になること、立ち上がることであって、それは責任のある存在になることです。それは同時に、子どもたちが責任のある存在に立ちあがることを、身を挺してでも手助けすることです。
ウソとゴマカシのない、責任のある態度こそ、大人の態度です。
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