今日の聖書の言葉は、隠れん坊。ただし隠れん坊という言葉がドンピシャで聖書のあるのではありません。しかし、聖書には、隠されているものを探す話がたくさんでてきます。宝探しの話がたくさんある。これは、人生は隠れん坊の人生、宝探しの人生であることを示してることに他ならないからでしょう。
そして、その宝を探し当てたものは、ハッピーですね。
たとえば、『新約聖書』にある4つあるイエスの物語の1つ「マタイによる福音書」の第13章44-46節には、前田護郎先生の翻訳では、
「44天国は畑に隠された宝に似る。人がそれを見つけて隠し、よろこんで出かけて全財産を売ってその畑を買う。
45また、天国はよい真珠を探す商人に似る。46高価な真珠ひとつを見つけ、出かけて全財産を売ってそれを買った。」
とありますね。ここは「天国」探しの話ですが、天国は隠されていて、なかなか見つからないけれども、探し続ければ、見付かる話、隠れん坊の話ですね。
人はどなたでも、深いところでは、すなわち、最深欲求においては、「何のために生きるのか」という人生の目的、≪本当の自分≫、人生を探しているものですね。でも、それを忘れて、自動運転で人生をやっている人も少なくありませんでしょ。
ですから、人生の宝物を意識して探すことが大事になりますね。そして、意識して探す者には、かならず、その宝物は、思いがけないところで、向こうからやってくるものですよ。ここは、遊びの隠れん坊とは違うところかもしれませんね。
ですから、その宝物は、人生のプレゼント、ということに必ずなっています。
人生はうまく出来てますね!
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