エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

対立を遊ぶ遊び

2014-09-02 06:24:46 | エリクソンの発達臨床心理


遊び 結びつける力 アインシュタインの場合

2013-09-02 04:36:56 | エリクソンの発達臨床心理

 

 (中略)

 アインシュタインは、普通は結びつかない、対極にあるものを結びつけることが出来たのです。しかも、それは、最初はイメージとの遊びだった、というのは驚きですね。 

 遊びには、物と物、人と人を結びつける強力な力がある、と言えそうですね。しかし、それは、いったい何故なんでしょうか?


 対立、といったら、次に来るのは、喧嘩や訴訟、ということかもしれませんね。

 でもね、宮澤賢治なら、「つまらないからやめろ」と言うことでしょう。でも宮沢賢治のように人は、いつの時代にあっても、理解されることが少ない少数派でしょう。

 しかし、対立と遊ぶ、といったら、さらにさらに、理解されることが少なくなるのかもしれません。その理解されることの難しさと言ったら、相対性理論の難しさと共通するのかもわかりませんね。

 対立と遊ぶ、これが決定的にアインシュタインをアインシュタインたらしめた、と私は考えますね。ふつうは、喧嘩をしたり、もう会わないで済む方法を考えるでしょうに。対立を遊んだのはどういったことでしょうか?

 それは第1に、その対立と遊ぶことが楽しかったからだと強烈に感じますね。それも簡単に楽しい、ということではなくって、飛び上るほどの、飛び跳ねるほどの楽しさだった、と強く感じますよね。まるで、輝く光のよう。

 それはもう、幼子がするような一種の「感覚遊び」だった。それがまさか、相対性理論という(中身はチンプンカンプンですが)、世紀の大発見になったばかりではなく、世の中の世界観をひっくり返すことにもなった、ということです。

 「アインシュタインほど」、ではないにしても、どなたでも、自分の世界観をひっくり返すような「発見」するためには、そのような、「対立と遊ぶ遊び」が、是非とも必要なんですね。

 しかし、それだけではありません。

 それはまた、飛び上るほどに、飛び跳ねる程に楽しい。まるで、輝く光のよう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« タオ≒自分を確かにする道=ア... | トップ | 2人のやり取りこそ、2人の≪... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿