2013-09-02 04:36:56 | エリクソンの発達臨床心理
(中略)
アインシュタインは、普通は結びつかない、対極にあるものを結びつけることが出来たのです。しかも、それは、最初はイメージとの遊びだった、というのは驚きですね。
遊びには、物と物、人と人を結びつける強力な力がある、と言えそうですね。しかし、それは、いったい何故なんでしょうか?
対立、といったら、次に来るのは、喧嘩や訴訟、ということかもしれませんね。
でもね、宮澤賢治なら、「つまらないからやめろ」と言うことでしょう。でも宮沢賢治のように人は、いつの時代にあっても、理解されることが少ない少数派でしょう。
しかし、対立と遊ぶ、といったら、さらにさらに、理解されることが少なくなるのかもしれません。その理解されることの難しさと言ったら、相対性理論の難しさと共通するのかもわかりませんね。
対立と遊ぶ、これが決定的にアインシュタインをアインシュタインたらしめた、と私は考えますね。ふつうは、喧嘩をしたり、もう会わないで済む方法を考えるでしょうに。対立を遊んだのはどういったことでしょうか?
それは第1に、その対立と遊ぶことが楽しかったからだと強烈に感じますね。それも簡単に楽しい、ということではなくって、飛び上るほどの、飛び跳ねるほどの楽しさだった、と強く感じますよね。まるで、輝く光のよう。
それはもう、幼子がするような一種の「感覚遊び」だった。それがまさか、相対性理論という(中身はチンプンカンプンですが)、世紀の大発見になったばかりではなく、世の中の世界観をひっくり返すことにもなった、ということです。
「アインシュタインほど」、ではないにしても、どなたでも、自分の世界観をひっくり返すような「発見」するためには、そのような、「対立と遊ぶ遊び」が、是非とも必要なんですね。
しかし、それだけではありません。
それはまた、飛び上るほどに、飛び跳ねる程に楽しい。まるで、輝く光のよう。
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