矛盾律は難解な感じがあるのですが、同時に臨床に近く分かりやすい、という面もあります。このように、二律背反であるところがまさに臨床的ですよね。
p72第3パラグラフ。
このことから導かれるのは、正しい生き方を強調することです。人生はすべて、些細なことでも大事なことでも、神を知ることに貢献します。ただし、正確に形而上学的に知るのではなくて、正しい生き方として知るんです。このことは、東洋の宗教では明確に分かります。バラモン教でも、仏教でも、道教でも、宗教の究極的な目的は、正しい信頼ではなくて、正しい生き方です。私どもは同様な強調をユダヤ教に見ます。ユダヤ教を信頼することに関して、分派はほとんどありません(唯一の大きな例外、パリサイ派とサドカイ派の違いは、本質的に言えば、2つの対立した社会階級の差でした。)。ユダヤ教が強調するのは(特に私どもの時代以降です)、正しい生き方、ハラチャです(この言葉は実際には道教の「タオ」と同じ意味です)
正しい生き方とは、幸せな生き方。それはまさしくアイデンティティの道です。
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