人間を上下に分けるウソは、人間の長い歴史の中で培われたものであるようです。そして、そのウソを作り上げる人間の傾向は、人間がフリをする傾向と関係がありそうです。エリクソンの論理の運びがますます楽しみになってきましたね。
今日は、フリがリアルな感じと嘘っぽい感じにどのように影響するのか?という疑問にエリクソンは答えてくれます。
2番目の疑問を最初に取り上げて、少なくとも「自然科学」が「現実とは何か?」について私どもにヒントを与えてくれるかどうか、問うてみることにしましょう。ホールトンが私どもに伝えたところによれば、「アインシュタインの最後の認識論的なメッセージは、『単なる経験世界は、性質が宇宙論的と呼んでも良いかもしれない程、一般性のある根源的思想を見つけて、初めて説明が可能です』」ということです。結局は、宇宙の秩序を見抜くのはまさに、「直観の飛躍」なのです。もちろん、宇宙に秩序を発見する科学的方法は、ある実績のある門下生に与えられた、特別なものですが、それだけではなく、「証明可能な」事実を継続的に探し続け、方法と発見の両方を継続的に分かち合い続け、比較し続けることによって、得られる地道な品格なのです。しかしながら、同様に宇宙的な秩序を探し出す必要がある心理学的な根本は、一つの世界の見方を探し続けていると思われます。その一つの世界の見方とは、歴史のある瞬間に、証明可能な新事実に従順であることと、「いっそう包括的なリアルな感じ」を探す気持ちや、一つの暮らしを分かち合っていると感じている、一つの社会の人々が明白だと見なしている一つの真実を結びつけるものなのです。
心理学の根本は、より包括的なリアルな感じを探していて、
1)そのリアルな感じ
2)証明可能な事実
3)暮らしを共にしている人々が、(やり取りする中で)明白と見なしている真実
の3つを結びつけた世界に対する見方を作り出そうとしているのです。これが、大学校の心理学ではなく、日常生活の心理学の根本です。
心的現実は、この3つのアスペクトからできているのです。
また、この3つのアスペクトは、今まで何度か触れた、1)見通し、2)話し言葉、3)出来事の3つに関係しますが、ここでは触れるに留めます。
エリクソンはこの3つのそれぞれに、別の言葉を用いますので、実際に英文でエリクソンを読まれる方は3項(参考)にしていただければと思います。それは、
1)reality
2)fact(factuality)
3)actuality
翻訳本では、この3つは区別していないことも多く、すべて「現実」とか「事実」と訳してしまっています。
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