ある意味、育ちがうまくいくのは、繰り返し気付きを与えられて、無意識の暴力から解放されていくことだ、とも言えますね。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p59の第2パラグラフから。
ところで、ここで、表2でお示ししたように、ライフサイクルの視点から見た発達のハシゴの上にある、一連の舞台を思い出してみることは役立つかもしれませんね。特に、「始から始めること」を示す代わりに、成人期の最後のレベルの高い心理社会的舞台から議論を始めるつもりですから、その最後に至るハシゴ全体を、ざっと確かめて見ることが大事だと思います。人間力のリストを完成するために、hope「困難があっても、希望を失わないこと」とfidelity「困難があっても、信念に忠実であり続けること」の間に、will「困難があっても、自分の意志を保つこと」, purpose「困難があっても、『何のためにするのか』を忘れないこと」,competence「困難があっても、やり遂げること」の段階を提案しますし、fidelity「困難があっても、信念に忠実であり続けること」 とcare「低みに立たされている者を大事にすること」の間に、love「助けを必要としている人を見つけ出して、大事にすること」を提案します。care「低みに立たされている者を大事にすること」の後は、wisdom「闇の中に光を見つけ出す叡智」の呼ばれる何某かのものを主張しさえします。
発達危機から得られる倫理的態度は、一言でいえば、困難にめげずにやっていく、という、至極当たり前なことなのかもしれませんね。日本人も好きな態度かもしれません。スポーツ根性ものとも、相通じる部分があるでしょう。
でも、ちょっと違いもあるんですね。スポーツ根性ものですと、「自分を殺して、自分を出さないで、自分は我慢して…」、「みんなが認める者になろう」と言うニュアンスが濃厚だと思うんですね。しかし、ここでエリクソンが展開している倫理的態度・倫理的強さは、真逆で、「自分を生かすこと」、「内なる声に従って生きること」と、「人の評価は、ひとまず棚上げにしても、自分が納得する者になろう」ということが濃厚です。見た目は似ているようで、心の態度は真逆ですね。
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