常識では「異常」なことにも、常識とは異なる「全うな」意味があるから古くて新しい浜辺 オットー・パターソンさんも、不思議がり。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p106の冒頭から......
Toys and reasons. P.49。昨日の続き。エリクソンが,スピリチュアリティについて,教えてくれているところです。そして,≪私≫=≪本当の私≫は,非常にスピリチュアルなものであることも,ついでに解りますから。
人のスピリチュアルなニーズの根っこにあることは,
1)生きる場では,端っこにいるのではなく,真ん中にいることですし,
2)毎日が退屈で,どうしたらいいのかもわからないのではなく,イキイキとしていて,しかも,生きがいを実感し,
3)自分の気持ちに途方にくれたり,自分の気持ちが分からなかったりするのではなく,自分の気持ちが一つ一つ手に取るように分かり,
4)それから,特に,母親から相手にされず(保育所に預けっぱなし,スマホやゲームやDVDなどの機械が子育てマシーンになっていて),結局見捨てられているのではなくて,相手になってくれることを(仕事や研究や家事よりも)母親が優先してくれるから,自分の価値が認められていることが理屈でなく,肌身に感じられる,
こと。
このすべての根っこが,意識のぼんやりとした初めですし,そのぼんやりとした意識の初めは,すべての言葉で「私」ということになるものの初めです。しかも,あらゆる宗教において,そのぼんやりとした意識はハナから,自分が人生の主人公である(生きる場で真ん中でいて,善い)というヴィジョン・見通しを探すものです。
残念ながら,発達トラウマ障害(DTD)の子どもだらけですから,青の心の状態の子どもがとっても多いんです。
私どもサイコセラピストの務めは,ですから,青の心の状態を,赤の心の状態に,コンヴァージョン(conversion),180度,心の向きが変わるように,陽気で楽しい関わりの中で,「あなたが人生の主人公なんですからね」,と,理屈ではなくて,肌身に感じられる様な関わりをするだけです。特別なセラピーの技法が必要なのでは全くない。根源的に必要なのは,陽気で楽しい関わり,だけなんですね。
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