エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

反パレーシアに抗して、真実を求める闘い

2014-02-03 06:05:40 | フーコーのパレーシア

 

 真実がアテネによってイオンに明らかにされます。

 

 

 

 

 

 それで、この最後の場面で、すべてが明らかにされた段になって、アポロが敢えて登場して、真実を明かしたのではありません。アポロは隠れていて、代わりにアテネが真実を語ります。私どもが忘れてはならないのは、アポロが人間たちに真実を語る責任のある、預言の神であることです。しかし、アポロが自分の役目を果たせないのは、自分の罪を恥じているからです。ここで、『イオン』で、沈黙と罪が、アポロ神の側で結びつきます。『オイディプス王』の中では、沈黙と罪は人間の側にあります。『イオン』の中心主題は、神の沈黙に抗して人間が真実を求めて闘うことにあります。つまり、人間が独力で、何とか真実を見つけて、語らなくてはなりません。アポロは真実を語らないし、アポロがよく知る事実を明かしません。アポロはダンマリを決め込み、真っ赤なウソをつくことで、人間たちを欺きますし、自分のことを語る勇気もありません。自分の権力、自分の自由、自分の特権的立場を用いるのは、自分がしたことを隠すためです。これでは、アポロは反パレーシアです。

 

 

 

 

 

 自分に都合の悪い真実を隠そうとするのは権力の常ですね。

 「特定秘密法」はその危険に気が付きやすいのですが、「個人情報保護法」の時は、気が付きませんでした。

 小泉純一郎が首相の時、「個人情報保護法」ができてから、ちょっと変でしたよね。クラス名簿がなくなり、電話連絡網がなくなりました。井上ひさしは、その危険にいち早く気づき、「天下の悪法」といって、警鐘を鳴らしていたことを、遅まきながら、最近知りました(『あてになる国の作り方』2002年 光文社)。

 真実を知り、語るためには、それを隠そうとする権力との闘いが必要なのです。

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ルターにとって、農民のイメージ

2014-02-03 02:06:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 ルターが郷愁を感じていた農民生活を、父親は露骨に否定し、上昇志向を倅にも押し付けたので、ルターは、この相矛盾する気持ちを一つにまとめて、自分を確かにするには、それなりの紆余曲折が必要です。

 

 

 

 

 

 

たまたま、母親が都会生まれだったのです。母親が、財産のない農民といかにして結婚したか、その経緯は明らかではありませんが、この母親が父親のちゃんちゃんばらばらの上昇志向を支えたのは当然です。マルティンを育てているときに、農民のイメージが、私どもが、自分を確かにすることがうまくできない欠片(消極的アイデンティティの欠片)と呼んでいるもの、すなわち、ある家族が償いたいと願っている自分を確かにする道(アイデンティティ)になったかもしれません。たとえそれが、一時の感傷であったとしても、です。そのイメージをほのめかすだけのことでも、子どもたちの内に、押さえつけられます。実際問題、ルターに関する資料は、同様にどっちとでも取れるものがたくさんあります。あるところでは、ルターの農民的な性質を見ることが、ルターの意志の強さを強調することになります。たほうで、ルターの粗野なところと愚かなところを説明してくれます。たとえば、ニーチェがルターを、Bergmannssohn 鉱山主の倅(文字通り、山を持っている男の倅)と呼んだのは、ニーチェがルターに敬意を表するときでした。

 

 

 

 

 

 ルターにとって、農民のイメージは、かなり相矛盾するものであったことが明らかになりました。

 さて、どう料理してくれるのでしょうか?どのようなイメージが、この相矛盾する状況を乗り越えるのに、役立ったのでしょうか?

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