この国が、少しでも澄んだ国になるように、私どもも、アリでありたいものです。あの大雪の翌日、透き通るように澄んだ青空を見たときに、私はそう感じましたよ。
鉱山は、私どもに息苦しさを感じさせるような壁にできた突破口の一つでしたし、15世紀に、お金や耐久消費財のように、長持ちする富として発展しました。鉱山業は、成功したのにも関わらず、富の配分における極端な格差をも反映していました。また、鉱山労働者も、大きな社会階層の人々(大部分の聖職者たちも含まれます)が当時直面していたのと同じ危険に晒されていました。社会単位は自らを組織立てて、いっそうガッチリと時代変化を抑えました。地方守備の王子たちは自分たちの境界線を主張しますし、自由都市は自分たちの城壁と貿易路の交差点を主張しますし、自分たちが経済活動を独占することを、組織立てました。国土によって自分を確かにする道(国土に対するアイデンティティ)や系統だった法体系によってますます守られた自律性を人は求めようと語ります。ただし、世界を司っていた体系的なローマ法と自分を確かにする道はすでにグズグズに朽ちていたのですが。
新たに生まれたエネルギーを組織するためには、体系的な法と自分を確かにする道が必要です。しかし、そんな時には今までの法体系や自分を確かにする道(ローマ法とローマ人としてのアイデンティティ)は使い物にならないのが常なのですね。新しい、澄み渡った道が必要なのです。あの大雪の翌日の青空が澄んでいたみたいに、ね!