あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

母を訪ねて〜常磐町・千眼寺跡・従姉妹との再会から城山へ〜

2024-12-18 21:01:06 | Weblog

今朝はホテルで本を1冊読了してチェックアウト。

それから、母の生まれた常磐町を目指す。幼いときに手をつながれて行ったところ。目標は薩英戦争の千眼寺(せんげんじ)跡と山が目標。

スマホのナビを使いながらどうにか到着。懐かしい。前も来たことがあるけど、また変わっていた。

途中、ノラネコちゃんと遊んでいたおばさまと話をし、また実家の近くのおじさまと話をすれば、お二人ともこの地に住んで50年ほどだという。

昔、母の実家は士族ゆえ、門構えがすごかった。よく来たなあと思う。

神道ゆえだったのね、手をたたいていたのが、子どもながらに不思議だった。また、庭のげせんの根っ子を食べた。いわゆるニッキの木だ。

ゆっくり眺める。山と道すがらの少しの石垣に昔が偲ばれた。今は現代的な家が建っていた。

先ほどのおじさまに教えてもらった西郷家のお墓にも行き、手を合わせた。

初代京都市長の菊次郎さんも眠っていた。

昨日の西郷屋敷跡といい、母が「この人は西郷さんのお孫さん」と写真を見せてくれたのを思い出す。ともに勉強し、遊んでいたらしい。

母がこのあたりで遊んでいたのかと何度も「母ちゃん」と呟いた。

西郷家のお墓から歩いていると所謂「郷中教育・ごじゅうきょういく」の自顕流のものが目に入った。

ついでにマンホールは島津家の紋。

 

実は常磐町の実家に行くとき、このあたりは見覚えがあると従姉妹のJ子ちゃんを思い出して、電話していた。

すると、在宅とのことで昔を懐かしんで訪ねた。はっきりおうちがわからず、迎えに出て下さったけど。

本当に久しぶり。

結婚前にJ子ちゃんのお父さま(母の兄)に挨拶に来た。母がお茶を頂いたあとに「かたづけてね」と私にさりげなく言っていたのを思い出す。

教師だった伯父様は私が小学校2年生のときに、作文で特選をもらったときに山形屋での表彰式にいらっしゃって下さった。そのときに食事もあり一緒にしたと思う。

静かな穏やかな伯父様だった。

脳神経内科の医師になったJ子ちゃんの弟のT男ちゃんは伯父様にそっくりだ。

広島で活躍して今は松山だと便りをもらった。

J子ちゃんが「実家は300坪あって広かったのよね」と言う。

少しの時間だったが楽しい時間。

J子ちゃんは私の突然の訪問をとても喜んで下さった。

それから、母が通っていた西田橋、(昔の橋は磯の方へ移築されているが)を渡る。

そして、平田靱負(ひらたゆきえ・岐阜の治水工事)の平田公園を見て平之町を歩く。

 

М子叔母様(母の妹)の懐かしい場所が今は寂しくなっていた。

確か、向田邦子さんもこの近辺に住んでいたと聞いた。

本当は照国神社から文学館の向田邦子展を見て山形屋に行きたかったけど、鹿児島中央駅に着く時間が迫っていた(夫は熊本から宮崎の西都原古墳へ。私はむか〜し行った)都城に寄って来るとの由。

だから、それらはやめて鹿児島中央駅に歩き始めたが、流石に足が痛くなりバスに乗る。そして、駅で再会!?

彼のためにまた「ざぼんラーメン」を食べ、大根のお漬物をたくさん食べる。鹿児島はラーメンにお漬物は付き物です。

そして、シャトルバスて城山ホテル鹿児島へ。

不思議、懐かしい鹿児島の匂いがした。

そして、西郷さんの洞窟を見ながらバスが進む。子どもたちと来たっけ。

ホテルの目の前の桜島の勇壮なこと!

夫と写したものしかなくて、ここにアップできないのが残念。

かろうじて、ちょっと見えたのがありアップします。西日に照らされてきれいです。

ホテルはさすが老舗のホテル。スタッフが素晴らしく丁寧だ。

い、こんなホテルにいつも来られるようにならなきゃと思ったけど、広い、広すぎて・・・ちょっと ・・う〜ん、そう思うなんて贅沢ねってかげの声が聞こえる。

露天風呂は最高!

目の前の桜島が素晴らしい!!

ちなみにホテル内を少し。

 

というわけで、今日は母を訪ねた旅。

ただただ、母にありがとうと頭を下げる私です。

明日は早くに露天風呂を満喫します

なが〜い文をお読み下さってありがとうございます。

本当に備忘録です。

ありがとう。

読んで下さった皆様にいいことがありますように。

私にもいいことがいっぱいだから

明日は従姉妹と会った後に、私の生まれた指宿に帰ります 

コメント
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