土佐レッドアイ

アカメ釣りのパイオニアクラブ

シカは驚いた わたしもおどろいた話 その(4)

2024-08-30 10:11:43 | 狩猟とナイフ

はじめにおことわり。血なまぐさい話や写真、ジビエなどがでてきますので、心臓が弱い人やベジタリアン、ビーガンの方は見ないでね。

「私の住む高知県安芸市の2024年7月末現在の人口は15,710人です。安芸市民を全員殺すよりも、1年間に高知県で殺すシカの数のほうがはるかに多いのです。

 のけぞるような数字でしょう。

 19,873頭のシカを積み上げるとどれだけ大きな山ができるとおもいます?」

と前回書きました。

 

   

ニホンジカの冬毛(右)と夏毛

 昔むかしその昔、私がまだ子供だった時、集落近くの山々はてっぺんまで畑がありました。その畑でサツマイモ、ササゲ、ハダカムギ、サトウキビなどが栽培されていました。

 当時、畑の耕耘はというと牛です。当然、田んぼの耕耘もです。耕運機などどこにもありませんでした。空想さえできませんでした。ですので、どの家も牛が飼育されていました。貧乏な私の家でも常時2頭の牛がいました。

 一番の楽しみは、牛の背中に乗せてもらうことです。しかし、めったに乗せてもらえません。行きは堆肥やら鋤など農具を背に載せています。その上、登る山道たるや、高山の登山道のような道なのです。仕事を終えて帰り道、父やおじいちゃんの機嫌がいいときなど、たまに「乗るか」と言われると嬉しくて。

 ふだんの目線の3倍もあるような高さの、牛の背で揺れながら見る世界は、別世界でした。

(このあたりで、おとぎ話のようなことをいう長野はいったい歳は幾つなのか?と思われる若者もいるでしょうね。私は1950年生まれです。)

 当時、山里のわたしの集落で、ニホンジカやイノシシの話題など聞いたことがありません。

つづく



最新の画像もっと見る

コメントを投稿