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■ 青蛙堂鬼談 / 岡本綺堂



ひさびさに気に入りの小説を読み返してみたので一稿。

筆者はどちらかというと小説よりもノンフィクション派ですが、文体に惚れこんだひとりの作家がいます。

岡本綺堂(おかもと きどう)。

小説家とも、劇作家とも括られるこの人は大正から昭和初期にかけて代表作を遺し、『半七捕物帳』の作者としても知られています。
筆者が好きなのは綺堂の小編で、とくに怪奇譚。

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綺堂は元旗本の子弟として育ち、英語が堪能で、中国にも渡り、長く新聞記者をつとめて新歌舞伎の作者としても第一人者だった。
このような経歴が、平明でムダのないリズミカルな文体を生み出したのだと思う。
たとえば名作として知られる『青蛙堂鬼談』(せいあどうきだん)の序段から引用してみると

「午後四時頃からそろそろと出る支度をはじめると、あいにく雪はまたはげしく降り出して来た。その景色を見てわたしはまた躊躇したが、ええ構わずにゆけと度胸を据えて、とうとう真っ白な道を踏んで出た。小石川の竹早町で電車にわかれて、藤坂を降りる、切支丹坂をのぼる。この雪の日にはかなりに難儀な道中をつづけて、ともかくも青蛙堂まで無事たどり着くと、もう七、八人の先客があつまっていた。」

この短い節のなかで、語り手のこころの動き、東京の雪景色と道行きをまじえ、出支度から、もう行き先の青蛙堂には七、八人の先客がいることまで語り尽くしている。
並みの技倆ではない。

『青蛙堂鬼談』はいわゆる「百物語」的な展開だが、その振り出しはこんな感じ。

「それが済んで、酒が出る、料理の膳が出る。雪はすこし衰えたが、それでも休みなしに白い影を飛ばしているのが、二階の硝子戸越しにうかがわれた。あまりに酒を好む人がないとみえて酒宴は案外に早く片付いて、さらに下座敷の広間へ案内されて、煙草をすって、あついレモン茶をすすって、しばらく休息していると、主人は勿体らしく咳(しわぶき)して一同に声をかけた。」

『中国怪奇小説集』の「開会の辞」でも似たような展開がみられる。
昭和のはじめ、午後一時から夜中の十二時過ぎまで、茶菓晩餐をはさみつつ延々と怪談を楽しむ風流人たちがいたことをこの書きぶりは示しており、案外、時間に余裕のあったこの時代の方が文化的に贅沢であったような感じがしないでもない。

「青蛙堂は小石川の切支丹坂、昼でも木立の薄暗いところにある。広東製の大きい竹細工の蝦蟆を床の間に飾ってあるので、主人みずから青蛙堂と称している。(略)この青蛙堂の広間で、俳句や書画の会が催されることもある。怪談や探偵談などの猟奇趣味の会合が催されることもある。」
「ことしの七月と八月は暑中休会であったが、秋の彼岸も過ぎ去った九月の末、きょうは午後一時から例会を開くという通知を受け取ったので、あいにくに朝から降りしきる雨のなかを小石川へ出てゆくと、参会者はなかなかの多数で」(略)
「例のごとくに茶菓が出る。来客もこれで揃ったという時に、青蛙堂主人は一礼して今日の挨拶に取りかかった。『例会は大抵午後五時か六時からお集まりを願うことになって居りますが、こんにちはお話し下さる方々が多いので、いつもより繰り上げて午後一時からお出でを願った次第でございます。』」
「それが終わってきょうの講演者が代わるがわるに講話を始めた。火ともし頃に晩餐が出て、一時間ほど休憩。それから再び講話に移って、最後の『閲微草堂筆記』を終わったのは、夜の十一時を過ぐる頃であった。さらに茶菓の御馳走になって、十二時を合図に散会。秋雨蕭々、更けても降り止まなかった。」



綺堂の状況描写は動的でたくみだが、どこかにしんとした静謐感が流れている。
この世界に曳き込まれるとなかなか抜け出すことができず、気がつくと完読している。

とくにこれから事がはじまるまえの、一片の情景の切りとり方が凄い。

「叔父は承知して泊まることになった。寝るときに僧は雨戸をあけて表をうかがった。今夜は真っ暗で星ひとつ見えないと言った。こうした山奥にはありがちの風の音さえもきこえない夜で、ただ折おりにきこえるのは、谷底に遠くむせぶ水の音と、名も知れない夜の鳥の怪しく啼き叫ぶ声が木霊してひびくのみであった。更けるにつれて、霜をおびたような夜の寒さが身にしみて来た。」(「くろん坊」(光文社文庫『鷲』収録)より)

水の音と夜の鳥を配することで、かえって飛騨の山奥の夜更けの静寂と、闇のふかさを浮き彫りにしている。

綺堂の怪談の多くはすっきり解決しないでおわる。
描写は的確で語り漏らすことがないのだが、なぜそのような怪異がおこるかについての説明がない。
もやっとしたなぞかけが、読後、じわじわとした怖さにかわっていく。
これが綺堂の怪談の身上だと思う。

綺堂の登場人物の語り口は大概に上品だ。
たしか「山の手の武士階級のことば」と表現した評論家がいたと思うが、これはおそらく綺堂が旗本の家に育ったというところが大きい。

「いえ、どうも年をとりますとお話がくどくなってなりません。前置きはまずこのくらいに致しまして、本文(ほんもん)に取りかかりましょう。まことに下らない話で、みなさまがたの前で仔細らしく申上げるようなことではないのでございますが、席順が丁度わたくしの番に廻ってまいりましたので、ほんの申訳ばかりにお話をいたしますのですから、どうぞお笑いなくお聴きください。」

これは「青蛙堂鬼談」でも傑作と評される「猿の眼」の導入で、年配の女性の上品で落ち着いた語り口から怪談に曳き込む手法をもちいている。

英語や中国語を知り尽くしたうえで、日本語のうつくしさを表現できる作家。
もっと読まれてもいいと思う。
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