新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

設楽原古戦場巡り…丸山砦に行く!!

2022-08-03 05:55:43 | 歴史史跡

設楽原古戦場巡り

今回、紹介するのは

大宮前激戦地にあたる「丸山砦」

ここは、もともとは、織田軍の佐久間信盛の軍勢約六千が陣を敷いていた場所

 

長篠の戦い前夜、武田軍の武将、馬場信房は、長篠城を見下ろす大通寺砦をにいたが、織田・徳川連合軍が設楽原に布陣すると…

武田勝頼の命で武田軍の北端に布陣する…丸山砦の北東に

そして、武田軍の馬場信房は手勢七百の少数部隊で攻撃し、ここを攻め占拠…

その時点では、勢いついてた武田軍

その後、この勢いに乗じて、土屋昌次 らが馬防柵の第一柵を突破

そんな長篠・設楽原の決戦へと繋がっていったこの丸山砦…

 

遠くから眺めると、古墳のようでもあります…

 

 

近くに行けば…ものすごくコンパクトにまとめて記載されている説明板

 

私??

それは

もちろん…

バカは高いところに登りたがる!!

 

そのとおりの性格なので…さっそく砦の頂上に…

 

 

先 佐久間信盛 後 馬場信房 陣地の石碑…

登ってみた感想…

 

確かに決戦地は上から眺めれて戦況はよくわかるものの、

 

狭っ!!!

 

 

武田軍の馬場信房の手勢七百…で取り囲んだ図を想像しただけでも「密」

ましてや、織田軍の佐久間信盛の軍勢約六千…もう、当時に新型コロナウイルスが蔓延してたら、みんなカンセンでしょうな…

 

噂では、どんどん、この丸山砦、削られていて、当時はこの2倍は、あったそうだけど…それでも狭っ!!って思ってしまいました!!

 

さてさて、この川は、武田軍と織田・徳川軍が対峙した連吾川

 

 

その川のところに立て看板が…

 

 

なんでもここで上州産の矢立硯が発見されたとのことで…上州出身の武将がもっていたのではないか…と

主に武士たちが陣中において使い、手紙をしたためたりしていた、その時に使っていたと思われる矢立硯…

この場所、大宮前激戦地で上州出身の真田信綱・昌輝が討死したとのこと…

 

さらには、連吾川を超えて、織田・徳川陣営だったと思われる

山のふもと、上記の写真の中央奥には…

 

 

高森恵光寺の塚

 

 

徳川軍の陣地に攻め入っての討死だったのでしょうか???

馬防柵から正面突破ではなく、横から侵入したところでの討死だったのかも知れないな…

 

 

左側の墓石に、名が刻まれています

 

 

右側の墓石にも薄く刻まれています…

 

 

討死した武田軍武将の中で、織田信長が首実検した記録の中に「高森恵光寺」の名があるとのことで、案内板にあるような「謎の武田武将」ではなくて、そこそこは、正体がわかっている武将のようで…

 

「いけ!いこう!!じゃまだー!!(織田軍が)」

そんな攻め入ってるときの、「けいこうじ(恵光寺)」武将の声が聞こえてきそうで…!!…苦笑

 

さてさて、最後にもう一度、高森恵光寺の塚の前から、丸山砦を眺める…

 

 

敵がせ…まる山砦

敵をやっつけ気分がたか…まる山砦

火縄銃で狙いがき…まる山砦

馬防柵にこ…まる山砦

馬防柵に思わず…とど…まる山砦

このオヤジギャグに…は…まる山砦…(笑)

そんなオヤジギャグは…ほっ(ほっといでー)…苦笑