城址マニアの私…
模擬天守なんてないほうがいい!土塁や堀切を眺めて、古の歴史ロマンに想いを馳せる城址マニアですので…
野田城址に行った後なら、当然、大野田城址にも立ち寄る…
大野田城は、もともとは建武の新政、1334年~の頃は富永氏の砦、応永年間1394年~の頃は城所藤五郎浄古斉の砦であったと云われているとか…
歴史の舞台は戦国時代になってから…1560年の「桶狭間の戦い」で今川義元が討たれると、野田城主の菅沼定盈は松平家康に属することとなったが、1561年今川軍の進撃で開城を余儀なくされ、豊川対岸の西郷へ退くことに…
しかし、1562年に菅沼定盈は今川軍に包囲された野田城を夜襲で奪回し、大野田城を仮本拠に野田城の修築を始める…
1571年武田軍の家臣、山県昌景、小笠原信嶺らの襲来で、菅沼定盈はこの大野田城に火を放ち、豊川対岸の西郷へ逃れる…
大野田城の存在はわずか9年間であったとのこと…
野田城址から、飯田線の高架下をくぐって、大野田城址へと向かう
この畦道の突き当りが大野田城址
城跡案内板の奥はため池
ため池のあたりがもともとは本丸跡
先程眺めていた小山の土塁や堀跡が残っているとのことで…
となれば、グーグルマップ片手に突き進む…
グーグルマップが示したところに到着したものの
ただの畦道の行き止まりで…
こうなると…城址マニアの血が騒ぐ…
土塁が…堀切が見たくて…土塁が…堀切が見たくて…土塁が…堀切が見たくて…
ググるとWEBに土塁や堀切がみられるとあれば…もう「生」でみたいと…もう「生」でみたいと……悲しいかな…この衝動は抑えられない…
虫よけスプレーをたっぷり降り注いでも…
汗を掻くから…今川軍、もしくは武田軍のような蚊の大軍が襲ってくるんですけど…
恐怖の…恐怖の…恐怖のマムシに出あう危険性もあるんですけど…
でも、土塁を堀切を求めて…気分は川口浩っ!(喩えが古っ!)
川口浩のように、大蛇(マムシのことね)や、野田城の戦いでの武士の骸骨に出合わないことを願って
おお、この盛り上がりは土塁なのか…テンション上がる!上がる!!
今川軍、もしくは武田軍のような蚊の大軍に襲われてはいるんですけど…
この奥には堀切が…
…テンション上がる!上がる!!
今川軍、もしくは武田軍のような蚊の大軍に襲われてはいるんですけど…
この辺は、足元に注意しながら…大蛇(マムシのことね)や、野田城の戦いでの武士の骸骨にけ躓かないように…??
以上、徘徊して…徘徊と言っても足元に相当ビビりながら…蚊の大軍に襲われた足首を気にしながら…
退散!!!
やっぱ、城址攻めは、大蛇や今川軍、もしくは武田軍のような蚊の大軍に襲われない冬の季節の方がいいよね!!と思いつつも
ここが城址だと思うと…ついつい藪の中に足を踏み入れてしまう…
城址マニアの悲しい習癖…
一言…リアル「藪蛇」にならなくてよかった…
野田城よりも大野田城の方が、ぐるっと小山の廻りを一周して、たくさん蚊に喰われ大変でした…
蚊に喰われた足首に、虫刺され薬を塗りながら
最後に一言
「おお、NOだじょー!!」
お後がよろしいようで