飯田線のJR野田城駅で降りて…
野田城に向かって線路沿いの道を南下してると
この案内板…
これを野田城の方面へ…専徳の墓…の方面に歩くとすぐ目に留まったのが、この祠…といっていいのかな
庚申祠
そこには、説明板が掲げられていて
これがお堂周辺位置図
庚申祠の奥には
観音堂
中を覗くと…ずらーっと観音様がソーシャルディスタンスを保たずに濃厚接触していらっしゃいました…
そして、地蔵堂
お堂の中は御覧のように…
秋葉山の祠
役行者像
そして怨親招魂碑
当時、この地区、大野田は貧乏な小作農が多く、稼いでも稼いでも食べるのに精いっぱい…村の人は、その理由を探ったところ、 野田城の戦いで亡くなった多くの武士の霊が各所に放置されているため、その祟りであろうということになり、そこで、その霊をなぐさめるため、明治34年に石碑を建てたとのこと…
そんな庚申祠で手を合わせ通り過ぎて
野田城へと向かう…途中で
最初、この正面の小山が、野田城址かな…と思って歩いていたんですけど
そこは
千郷神社
701年からの大宝年間に藤原公宣が鳳来寺に参拝したときに創建した八幡社と、
1508年、野田城主菅沼定則が創建した八幡社を併せて設立されたと伝わる神社で
ご祭神は誉田別命さま、天穂日命さま、押武金日命さま
二礼二拍手一礼をしようと思うも
いきなり難関が…
「蝮にまむしに注意」
なぜ、マムシが2回繰り返して書かれているのか謎ですが…そう書かれてあれば足元をよく注意して、石段を登ります…
足元を注意して…足元を注意して…足元を注意して
あの、この写真をみてわかるかな…
石段が昔のまま…といいましょうか…手すりは最近、設置されたんでしょうが、足元に注意しないと…転んでしまいそう…めちゃ歩きにくいのよ!
年老いたら、ここには絶対参拝できないだろうな…と思える石段…
足元を注意して…足元を注意して…足元を注意して…マムシよりも転倒しないように注意して…
登り切ったら広い境内…正面が拝殿です…
この左側に駐車場が…
なんと、車でこれば、あの危険な石段を登らなくてもすむのね…ああ、これで年老いてからでも、この神社への参拝は大丈夫…(笑)
境内には…耕整碑
先ほどの怨親招魂碑とこの耕整碑で、野田城で亡くなった方の祟りもなくなり、きっと農業も安心なことでしょう??
こちらは、何が刻まれているのか不明な碑…
まず手水舎で手を浄めまして…
はい、シンプルな蛇口をひねる水道でした…
ここは念入りに…念入りに…ひょっとしたら手にへばりついているかもしれない新型コロナウイルスを洗い流してと…
さっそく拝殿にて
拝殿の左右には狛犬様
そんなに私を見て驚かなくても
そんなに私を見て驚かなくても…
ではでは二礼二拍手一礼
ご祭神は「八幡さま」こと誉田別命
このあたりの氏神様なのですね!
天穂日命さまは農業の神様
押武金日命さまは災難除け、武運の神様なので、一昨年から大変な目に遭わされている新型コロナウイルス退散は、押武金日命さまにお任せするとして…??
拝殿の向かって左側には境内社
どんな神様が祀ってあるのか、詳しくはわからず…
その間に稲荷社…
奥に境内社が二つありました…
こちらが稲荷社
こちらが本宮山遥拝宮
本宮山奥宮まで参拝にいかなくても、ここで拝めば同じご利益が得られちゃうありがたさ…
手前にはたくさんののぼり旗
もう、ソーシャルディスタンスが保てて
神様にも100パーセント、願いが届いたことでしょう…
よき参拝となりました…
帰りはマムシと転倒に気をつけながら、慎重に石段を下りる…
さてさて、さらにそこから野田城方面に向かおうとすると…
昼間でも木々に囲まれて薄暗い中に
圧巻なほどの石仏群…
ちょいと近寄りがたいパワーを感じるほどで
もう濃厚接触でひしめきあっている光景はめちゃシュールでした…
おお、不動明王さまだー!!
いったい、なんの石仏なんだろう??
気になったけど、廻りには誰もいない…訊くにきけない…
いったい千郷神社のすぐ隣にあるこの多くの石仏群は何を祀っているのだろう…
ぶつぶつ独り言を言いながら…ぶつぶつ…そう「仏様」だけに、「仏仏」と独り言を言いながら…千郷神社を後にし、野田城址へと向かったのでした…