女城主の里
朝ドラ「半分、青い。」のドラマロケ地でもある
「いわむら城下町」を歩く…
2021年11月のこと、このころは新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言も解除されてたけど、ずーと、私のお腹廻りの緊急事態宣言は解除されず、継続中でして…
とにかく休日、ウォーキングが、健康には1番…私のお腹廻りの緊急事態宣言の解除にむけて…歩かないとね…
さてさて、軽四を旧岩村振興事務所(岩村休憩所)の第一駐車場に停めて…散策開始!!
さてさて、軽四を停めた旧岩村振興事務所(岩村休憩所)では
朝ドラ「半分、青い。」のロケセット展がやっているようで、館内を覗いてみることに…
出迎えてくれたのは
「岐阜犬」…もし、これが「愛知犬」でも「三重犬」と言われてもそーなんだ…と思っちゃうんだろうな…
モット、岐阜らしさが欲しいぞ…織田信長の家紋柄とか…白川郷のような帽子を被っているとか
岩村出身の佐藤一斎さんのパネル
恵那南高校の高校生がつまようじで作った素晴らしき作品
きっとこれをみて「少にして学べば則ち壮にして為すこと有り」(少年の時に学んでおけば壮年になってから役に立ち何事かを為すことができる)と…お空の上から感動してるに違いない…
さてさて、「半分、青い。」のロケセット展…
永野芽郁さん演じる「楡野鈴愛」が主人公のドラマでしたね
目に留まるふくろう商店街の大型パネル…
楡野食堂の暖簾
「E.N.BURGER」
まあ他にも写真パネルや小道具がずらーっと
おお、ここは撮影スポットか…
じゃあ、気持ちだけは…気持ちだけは…佐藤健になって…
あ、読者のブーイングはいらないよ!!
な、なんと、ここに顔をハメることによって
岐阜東美濃の五平餅になれるよ!!
私は、これまでの人生で、一度も岐阜東美濃の五平餅になりたいと思ったことはないので、顔ハメはしなかったけど…
佐藤健さんになら???…(笑)
私が、もし中学生だったら、きっとこの水着のオネーサンを2度見するだろうな…
サマーオレンジよりも、この水着のオネーサンが脳裏に焼き付いてしまうことでしょう!!
ああ、中学生だったあの頃は、私も「半分、青かった…」
今は、職場で、あ、あの書類の提出期限が―!!と、半分どころか、毎日、「あおく」なってますけどね…
さて、「全部、あおい。」…の私
その後は、メインのいわむら城下町へと
いやあ、時空を超えたようなタイムスリップしたような…このレトロな街並みの風景…いいね!!
「水野薬局」
私の「全部、あおい。」も御岳百草丸を服用したら「半分、青い。」になるかも??
ここは板垣退助が岐阜遊説で明治15年4月1日に岩村を訪れたときに宿泊した薬局だそうな…その、5日後の明治15年4月6日に板垣退助は岐阜で相原尚褧に襲撃された…その時
おそらく、稲垣退助は、襲撃しようとした相原尚褧をみつけて
「ひゃー!!くそう!!ガーン!!」と撃たれたに違いない???
「ひゃー!!くそう!!ガーン!!」…百草丸…チャンチャン!!
岩村醸造
「蔵元 女城主」の看板がいい味だしてます…
この狛犬っぽい木彫りのワンちゃんに惹かれて…
おお、これぞ!「ワンダフル!!」
ワンダフルな「女城主 純米吟蔵」買ってかえることにしよう!!
あ、今買っちゃうと、ずっと持ったまま歩かなくちゃいけなくなるから、帰りにでも
正面にみえる山が岩村城址
江戸時代に建立された「上町常夜灯」
昭和62年にここに移築されたようで
その右側には…祠が一つ
その左側手前には佐藤一斎さんの言志四録の名言の石碑が一つ
「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら慎む」
春風のように軽やかに人とは接して、秋霜の厳しさのように自制する…の意…
さてさて、ちょっと歩いただけなのに…
空くのはお腹…
ここからは岩村駅の方向に引き返して…
「鳥兵」へ…と…
昼の12時前でしたが、混んでいて、待ち時間20~30分ほど…でも、他の店もきっと混雑してるだろうと思って…待ちました!待ちました!!「あみん」のように…(喩えが古っ!)
はい、20分ほど待ってご案内…
春風亭昇太さんも、ここに寄ってるようです…
ここは「恵那どり」が名物っぽいようなので…
ここは、「恵那鶏の肝焼き定食」をば…
鶏の肝焼きがメインの定食…濃い醤油味のタレで焼いてあって、美味しい!美味しい!!
御飯も進む味だけど、正直、ちょいと一杯!「女城主 純米吟蔵」が飲みたくなる…味でした…
って、「女城主 純米吟蔵」を飲んだことないやん!…はい、ビールが進みそうな味でした…
ああ、お酒が飲めなくて残念!残念!!
満足!満足!!大満足!!!大満足で「肝」ちいい…もとい…気持ちいい…
春も夏もあ肝(秋も)食べに着たいぞ!!…
冬もゆ肝(雪も)みながら食べると最高でしょうね…そこは、「女城主 純米吟蔵」と一緒に…(笑)
さてさて、満腹になったからには、カロリー消費のために歩かなくちゃ!!
ナマコ壁と呼ばれる
この建物は「木村邸」の裏側
表の城下町通りに廻って
木村邸
木村邸は江戸時代中期から末期に栄えた問屋で、藩の財政困窮のたびに御用金を調達してその危機を救ったそうな…それゆえ、藩主より特別な存在として認められていたらしい豪商だったようで…
そんな素晴らしい木村邸に…タダでタダで…私の大好きなタダで入れちゃう!!
もちろん、コロナ禍になってからの当たり前の光景…検温と連絡先の用紙を提出すれば…ね…
天井は高く…実に開放的…
ここは「みせ」呼ばれる座敷
その奥の「でい」と呼ばれる座敷に鎮座しているのが
佐藤一斎像
ここでは、「西郷どんと佐藤一斎」なる企画展がやってまして
西郷どんは佐藤一斎の著書「言志四録」の熱烈なファンだったということが、よくわかりました!!
いや、他にも説明解説パネルがイロイロあったのに、端折り過ぎやろー!!
「でい」と呼ばれるこの座敷の窓は「武者窓」
このあたりは「ねどこ」
「次の間」から「奥座敷」へと
ここは「茶室」
この「茶室」へ繋がる入り口は
殿様専用通用門だったらしく…
藩主の殿様専用玄関がありそこから一直線に部屋が書院まで連なり床が高くなって上段の間のような造りに
いやあ、もう時が江戸時代にタイムスリップしたかのよう
明治15年の金庫…
さすがの盗人もお手上げの大きさ!!
電話室
台所の囲炉裏…最後の女主人、木村歌江さんが平成4年まで暮らしていたそうで
「おかって」
「おかって」を通り抜けて中庭へと
「寿庵」
もともとは、茶室として利用していたよう…今は秋まつりの祭具や衣装が展示されています…
この鐘も祭具でしょうか…
土蔵
その下には「天正疎水」
「天正疎水」という天正3年に整備された生活疎水が、今も生活疎水として使われてきたようで
さてさて「寿庵」の2階は「老松小屋」と呼ばれる部屋があるようで
この歴史の感じる…趣のある階段を登れば…
2階は…和モダンな屋根裏部屋が二部屋…
なんか、秘密基地みたいで
見下ろせば…この景観…
江戸、明治時代からのものでしょうか…
消えかかっている「老松小屋」の文字…
書院に近いトイレは藩主専用だったようで…
トイレを覗いてみました…トイレは奥の方で、門からかなり「とーいれ(遠いで)」…汗
中庭に残っている「井戸」
入り口に戻って、そのスペースには
佐藤一斎さんの「言志四録」の名言が紹介されてました…
先日の競馬惨敗も…無駄ではなかった…ということですね???
失恋したときには、この言葉は沁みますね…
どんなふうに、みられていたのか、そちらの方が気になる!気になる!!
「西郷どん」は「言志四録」で大きな人間になったらしい…
一応…最後に…念のために…
木村邸といっても
国際プロレスのエース“金網デスマッチの鬼”…国際プロレス崩壊後、全日本プロレスで、ジャイアント馬場を「兄貴」と呼んでいた
ラッシャー木村さん
…の住んでた豪邸とは違いますので…
どーぞ、お間違いなく…
新日本参戦を翌月に控え、リングで猪木と向き合った緊迫の第一声が「こんばんは」
渕選手に「渕選手 おまえは早く 嫁もらえ」
そんなラッシャー木村さんを偲びながら…???
木村城下町…もとい…岩村城下町散策は続く
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