新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

ここも岐阜のマチュピチュ?日本三大山城の1つ…岩村城址に行く!!

2023-02-28 06:16:34 | 歴史史跡

城址マニアの私が、ずーっと行ってみたいと思っていた…

恵那市岩村にある鎌倉時代中期に築城された

岩村城址


岩村城は日本三大山城の1つであり、標高717メートルという高所にあった城

織田軍と武田軍の境界線にあるため、なんどもこの城を巡って、奪い合いが繰り広げられていたこの岩村城

 

1185年、源頼朝の重臣「加藤景廉」がこの地の地頭に補せられ創築されてから、鎌倉・室町の300年間、戦国の100年間、更に江戸期の300年間にわたって城と城主が受け継がれきた、この岩村城は、大和の高取城、備中の松山城と並ぶ日本三大山城の一つに数えられる名城

高低差180mの自然の地形を巧みに利用した要害堅固な山城で、霧の湧き易い気象までも城の守りに活かされており、別名「霧ヶ城」ともよばれている岩村城

…とか綴ってきましたが

 

もう、ただ、女城主であった時期があったというだけで、

城址マニアの私は、興味津々…

2021年秋の、紅葉の美しい時期に…行こうよう!!

 

そんな岩村城址を攻城してきましたので、今回はそのレポをばだらだらと…

山城なので…ひたすら登る!登る!!

 

 

当時の石垣か、観光用のために、後々築かれたのかわからないけど、この苔の生え方から、当時の石垣では…と思い込んでしまう…

この石垣が気分を高揚(こうよう)させてくれます…

はい、このあたりのこうよう(紅葉)が美しくて

 

ここは、城山城址公園

その紅葉に囲まれて

下田歌子さんの生誕地を標す石碑が…

 

下田歌子さんは、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者、歌人

女子教育の先覚者で、生涯を女子教育の振興にささげ、実践女子学園の基礎も築いた、ここ岩村出身のお方…

「父母がその愛児に臨むの心をもって生徒に対すべし」

私の教育観と一緒ですなあ…

どんなお子さんでも、親御さんにとっては宝物…私は宝物を扱う気持ちで、ずっと子供たちに接してきました…

なので、そんな宝物を傷つけるような、体罰する方は、私には理解できません!たぶん、その方が、思い描く目標の姿とのギャップに手が出てしまうのでしょうが…子供たちは、日々成長、スモールステップしています…それを温かく支援することで、子供たちが、より実感できるようにと

ああ、時空を超えることができたら、下田歌子さんと語りたい…講演会??をききたい…(笑)

そんな下田歌子さんも刻まれている「岩村町偉人十傑」の石碑

 

これを見て気になったこと…と言えば、「岩村町偉人」の11番めは誰でどんな功績をした人なんだろう??10番目に選ばれた方と11番めの方の差はなんだっただろうって…???そんなどーでもいいことを…苦笑

 

さて

登山道を挟んでは

その下田歌子さんの勉学所

父の書斎で、父と祖父の蔵書を読み、独学で和漢学を学んだ部屋を復元したもの…女であるため、すぐ近くにある「知新館」で学ぶことは許されなかったらしい…

 

 

これが、下田歌子さんの像!!

かなり晩年の像だと思われる…女性なんだから、お空の上から、もっと若い頃の像にしてほしかった…と思ってるのかも知れないな

そんな下田歌子さんの句碑

「手枕は 花のふぶきに 埋もれて
うたたねさむし 春の夜の月」

 

まあ、ここは負けじと「ド少納言」の私も、和歌を詠むことにしよう

 

「手持ち馬券は  鼻の差で 紙ふぶきに 埋もれて
財布の中さむし  春の夜のツキ」

 

和歌の意…春競馬、調子がいいかと思っていれば、鼻の差で敗れ、馬券を破って紙吹雪にしたことよ!!

それにしても、破調…字余り、字足らずだらけで…

でも、きっと、私が岩村出身なら、この石碑の横に、私の和歌も刻まれて置かれることでしょう???

 

さらに渡った登山道を再度横切って

「下田歌子生誕地」を標す石碑…より、一段高いところには

三好学さんの銅像が

 

明治・大正・昭和時代の植物学者、理学博士で日本の植物学の基礎を築いた人物の一人…特に桜と菖蒲の研究に関しての第一人者として知られ、殊に桜博士とも呼ばれていた方…もちろん、岩村出身のお方

 

 

菖蒲…きっと花札も強かったことでしょう??

さぁ、いくらでも、しょうぶだー!!」と「こいこい」を楽しんでいたことでしょう???

 

「環境があって人間が存在する」

まあギャンブルできる環境があれば、そこに人はいますからな…

はい、すみません!この言葉、自然保護の観点からのお言葉ですよね???ちゃんと三好学さんのことググって調べておきます…

ちゃんと調べてみ、よしまなぶぞー!!!

 

はい、寒くなりました!!ここ岩村の11月は風が冷たくてただでさえ寒いのに…スベッタオヤジギャグで余計に…

まあ、坂道だけはスベらないように…と足元をよくみて、登る!登る!!

 

この藩主邸から「一の門」まで続く坂は「藤坂」

フジの大木があったから「藤坂」

もし、桜の大木があったら「桜坂」

福山雅治ファンや、「46」ファンがこぞって、登りにきたことでしょう??

本丸まであと600メートル…この案内標識に勇気づけられる私

 

岩村城最初の関門…

「初門址」

御覧のように曲がっていて、通行が遮断できるような造りに…

 

ひぃひぃふぅふぅ…

本丸まであと500メートル…この案内標識に勇気づけられる私

 

 

ひぃひぃふぅふぅ…

本丸まであと400メートル…この案内標識に勇気づけられる私

 

ひぃひぃふぅふぅ…やっと…「坂」を登り切って私には「無事(ブジ)坂」のように思えながらも

石垣がみえてくると…不思議とテンションが上がってくる私

 

 

 

 

ついに「一の門」

 

石垣から、巨木の根っこが出現…いやあ、コーフンしちゃう!しちゃう!!

 

 

その上には、東屋が

さらに進むと…「土岐門」…岩村城第二の門

 

いやあ土岐土岐…もとい…ドキドキするねえ!!

 

おお、いかにも、ここに門があったぞ!!と妄想するにはぴったりの光景

よりも、本丸まであと300メートルの案内板が気になる私

畳橋址

 

その左右には

この石垣の上には三重櫓があったようで…

 

追手門

 

本丸まで200メートルの案内が気にならない程…この辺りは城址マニアの私にとっては、裸体の女性よりもウンとウンと見入ってしまう!!

 

大手門の石垣の上から、見下ろしたり

 

三重櫓跡を石垣にそって歩いたり

 

いやあ、タマラナイ!!

岩村城には17箇所もの井戸があり、籠城の際にも飲み水に困ることはなかったそうな…

これは、「龍神の井」

 

さらに「霧ヶ井」

八幡曲輪にある霧ヶ井は、城主専用の霊泉…「巌邑府誌」には、敵が攻めてきた際、城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると、たちまちにして雲霧が湧き出て城を覆い尽くし、城を守ったと記してあるとのこと…

八幡曲輪に鎮座していたのが八幡神社

 

岩村城創業者加藤景廉公が祀られていたようで

 

この遺された石段を登っていくと…ありました!ありました!!

拝殿の跡が

実際の八幡宮は、明治初期に麓に遷座しているようですが、江戸時代まではここに鎮座していたのでしょう…

神様は、もうお引越しされているのでしょうね!

 

別名、霧ヶ城神社

右隅にあった…境内社の神様もご一緒に引っ越しされているのでしょうか…

そのお隣りの廃墟っぽい建物は、この神社を守る関係者が住まわれていたのか…実際のところ、どうなんでしょう??

廃墟ではなく、今でも使用可能なのかも知れません!

 

 

昔から掲げてありそうな

菱櫓俄坂の案内看板

その菱櫓の石垣

 

 

実は、この石垣以上にこの場で目を奪われるものが

二の丸の廻りを囲む六段の石垣…

もう…圧倒されちゃう感じで

 

その手前にみつけた三つ目の井戸…

 

その目前には

まさに絶景!!壮観!壮観!!…もう、そう感じるだけ!!

いやあ、凄い!凄い!!素晴らしい!!!

 

 

ついつい、岩村城を攻め落としたつもりで、こういうことやっちゃいたくなります!!

 

六段の石垣を横から眺め

 

マチュピチュのようにも見えるこの光景…

 

 

 

長局理門から…二の丸へと…

 

高石垣を補強するために、六段にしたとのこと…

そんな六段壁を二の丸から見下ろす!!見下ろす!!

いやあ、凄い!凄い!!

バカは高いところに上りたがる…そのとおりの性格の私…

二の丸から眺める…この絶景に満足!満足!!大満足!!

 

この二の丸に上がってくる門はもう一つありまして

理門

その門を囲む石垣

ちょっと、二の丸から顔をだしてみた…(笑)

ガキを前にガキのように…テンションがあがりっ放しの私

 

 

二の丸からこの石段を登って、念願の…念願の…岩下城本丸址へと…

 

 

本丸…山の上にあるのに…想像以上に広い!広い!!

歴史を感じる岩村城跡を標す木製の標

昇龍の井戸

中日ドラゴンズファンなら、覗きに来た方がいいでしょう!!

でも…スズメバチ…

中日ドラゴンズの前途も多難のようです!!

 

この昇龍の井戸の奥の紅葉が鮮やかでした…

 

 

「天正十年(1582)三月十一日、甲州(武田)の途に就いた織田信長公は、家臣団の筆頭格であった明智光秀公などを引き連れ、岩村城に入城した…」

織田信長公もここにやってきたようで…

そんな織田信長公も楽しんだと思われる絶景を満喫!!

 

 

 

 

岩村城歴代将士慰霊碑

説明案内板

 

 

降りた出丸だった場所は…駐車場になっていて、裏から車でいっぺんに本丸までこれちゃうけど、やっぱり山城は自力で登った方が、風情および達成感が残るよね!

 

 

 

これ、井戸でしょう…きっと

 

 

出丸から見上げる本丸を囲む石垣

 

再度、出丸から本丸までよじ登って…いや、石垣じゃないよ!

ちゃんと理門を通って…

 

 

 

本丸の横、東曲輪から、自動車で登ってこれる道を見下ろす…

 

そして、本丸から眺める絶景!!

はい、妄想の中では、私のお隣りには女城主が…(笑)

「おつな子だね」…いや「おつやの方(おつやのかた)だね…」

なんて、妄想の中で、うひゃうひゃ!!

もう石ガキに座って、ガキのよーに興奮しまくりの私だったのでした!



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