新・日記どす(DOS)

写真は「ビートルズ」のヘルプごっこ(笑)~音楽からB級スポット訪問記まで、幅広くいろんなことを…笑いをこめて…綴ります~

「岩村歴史資料館」と、その周辺を散策する…の巻

2023-02-27 06:03:52 | 歴史史跡

大和の高取城、備中の松山城と並んで日本三大山城のひとつに数えられる城

岩村城跡に行く!!

 

岩村城といえば、女城主であった時期があったことがなんと言っても有名である城…

どーして、そのことを知ってるかっていうと…岩村醸造で「女城主純米吟醸」というお酒が売っていたから…笑

さてさて、女城主は誰かというと…織田信定の娘、「おつやの方」のこと…

「おつやの方」は、岩村城主・遠山景任に嫁いだものの、2人に子どもができないまま1572年に遠山景任は病死する…

そこへ織田信長が自身の五男である御坊丸を養子として送り込み、武田方であった岩村城の乗っ取りを計画する…

御坊丸は、養子として迎えられた当時は6才前後だったとか…

幼い御坊丸の代わりとして、義母であるおつやの方が事実上の城主として君臨してた時期があったんだな…

 

さてさて、その後なんだけど、女城主おつやの方が守る岩村城は1572年武田軍の秋山虎繁によって包囲されてしまうことに…

秋山虎繁は「おつやの方」との結婚を条件に、無血開城を要求…この要求には、家督も御坊丸に譲るということだったため、「おつやの方」は秋山虎繁の要求を受け入れ結婚することに…

ここで、女城主に役目は、終了…城主は武田軍の秋山虎繁となる…

しかし、御坊丸を家督にするどころか、約束とは違って、甲斐に人質として送られてしまうことになる…

自身の子を武田方に人質にとられた信長は激怒し兵を送り織田軍勢が岩村城を包囲…秋山虎繁は兵士や家族の命を救うことを条件に、城を織田軍勢に明け渡した…

ところが信長はそれを守らず、秋山虎繁とともに、「おつやの方」も逆さ磔で処刑したとか…

 

そんな…武田軍と織田軍で…奪い合いをした岩村城址…

ちょうど岩村城址の裏手になる対向車線のない険しい山道を車で走らせれば、いっぺんに、本丸付近まで行けちゃうけど…

やっぱり山城は、歩いて攻城した方が、雰囲気がでるというもの…

だったら、「岩村歴史資料館」の駐車場に停めて…ここから歩いて本丸を目指すのが一番!!!

 

これと対比できるように古地図の案内看板もあります…

さてさて、「岩村歴史資料館」の駐車場の手前に、ドドンと目を見張るものが復元されてまして…

 

それは、この「太鼓櫓」

 

「太鼓櫓のいわれ」の案内板同じものが、道路側と駐車場側にありまして…

太鼓櫓の道路側には

岩村出身の成瀬櫻桃子さんの句碑

 

この太鼓櫓の隣に復元されている建物は

岩村藩校知新館

岩村藩校知新館は1702年に松平乗紀によって創立…美濃においては最初の藩校で、全国的にみても藩学としては古く、10指に入るといわれているとか…

その知新館の正門が移築されています…

 

 

美濃国岩村藩出身の儒学者

佐藤一斎の像

佐藤一斎さんが記した「言志四録」は、指導者のための聖書とも呼ばれ、西郷隆盛にも 大きな影響を与えたとか…

その横に植えてある「楷樹」

佐藤一斎さん関連での植樹でしょう…儒学と特別に関係のある場所に分かち植えられたそうで…

行ったのは2021年11月…

紅葉がめちゃ綺麗でした…

 

 

さてさて、「岩村歴史資料館」の駐車場の廻りを散策すれば…

 

広島市庁舎被爆礎石が

平和を訴える…その願いから、ここに譲り受けたとのことですが…

なんか、放置されっぱなしといいましょうか、「平和」が枯れ葉の中に埋没しそうだな…なんか、ここに国家の「平和」に対する扱いと被ってみえたのは私の杞憂でしょうか

この辺りから眺め下す…岩村の城下町が素敵で…

バカは高いところに上りたがる…そのとおりの性格の私なのですが…もうここで十分、わざわざ岩村城に登らなくても…とも思えちゃうほどの眺めです…

 

 

さてさて、「岩村歴史資料館」の建立されているあたりは

岩村藩主邸跡

奥に藩主邸御茶室があるようです

 

その手前には「従是岩村方鉄砲停」の標柱

この「鉄砲停め」の標柱は、もともとは大円寺奥の阿木境にあったもので、礎石は上平の堤下の道端にあったものを、ここに移して建てたものだそうな…

江戸時代、岩村城を中心としたこの一部の地域内では鉄砲の使用が禁止されていたんですね…

 

 

さてさて、ここの石段を登ってみれば、復元された御茶室が…

もともとは、文化人藩主といわれた松平乘紀によって宝永年間に創設されたものの復元

鍵が掛けられていて、これ以上進むことはできませんでした…扉の隙間から覗き込んで…(笑)

紅葉がめちゃ綺麗でした!!

 

 

そしてこれは、岩村町の花「山つつじ」

 

岩村城主 松平乗保が受け取ったといわれる灯籠…

これは、もともと東京都上野東叡山にあったものを松平家が岩村城へと寄付したものらしい…

 

 

 

さらに、奥には「岩村歴史資料館」の他に「民俗資料館」があるようですが…

 

 

 

スズメバチ来襲のため、入館禁止になっていました…

 

 

ではでは、ぐるっと、「岩村歴史資料館」の駐車場を散策したところで、岩村城址に上る前には、やはり予習が大事!!

勉強も一緒!!予習が大事!!

 

「岩村歴史資料館」の館内で、岩村城のことをもっとしっておけば、攻城がもっと楽しくなるはず…

館内撮影不可でした…展示の仕方は…もう昭和そのもので…ジミ…でございました…

1階には…岩村城跡のジオラマ…「本丸」とか「出丸」とかのスイッチを押すと、そこが点灯するだけ???という、それでも私が子供の頃だったら、喜んでスイッチを押して、点灯させてたと思われる…昭和チックなジオラマが

 2階は岩村城に限らず、石器時代から近現代の歴史に関わるさまざまな展示物が、ジミに並べられていたり、パネルで紹介されてたり…

へー、クジラの化石もあったりして…ここはもともと海だったんですね!!…でも、その化石はレプリカですけど…苦笑

岩村城関連は「享保岩村城絵図」「明和岩村城絵図」が掲げられてあったり、日本で15冊しか現存しない1862年に発行され、岩村藩校で使用された日本初の英和辞典など、価値のあるものが展示されてるんだけど…なんかジミ…ショーケースの中の展示品を眺めるだけで…

歴代城主のパネルも…あるけど…なんかジミ…

展示品を眺めるだけで、ビジョンもないし…

女城主「おつやの方」の特集コーナーもなく…まあ、ちょっと歴代城主のパネルに触れてはあったけど

他には岩村出身の偉人のコーナーが充実していました…

 

行った時は

企画展「明治三十六年の活人画展」が開催されていました…

 

歴史や文学に登場する人物に扮してポーズを取っている姿を再現する「活人画」の作品がずらーっと…

下田歌子と山本芳翠による活人画「癸卯園遊会活人画」とか…

でも、この資料館に入った目的は、岩村城の予習なので、数学の予習をしようと思ったら、教科書がみつからなくて、目の前には理科や社会の教科書しかみちからない…そんな状態に似ていまして…

せめて「おつやの方」の活人画でもあれば…と思いながら…

 

思ってたほど、予習はできなかった感じで館外にでる!!

 

おお、ここに杖が…ありがたや!ありがたや!!

転ばぬ先の杖…とも言いますし、ここは、しっかり握りしめて…スミマセン!私が握りしめてしまいましたから、残り三本…

どーか、この後、私よりも足腰の弱い方がここを訪れませんように…と願いながらも

 

さてさて、ここで困った問題が一つ発生!!!

 

それは、これから岩村城址に登ろうと思っているのに…

お茶や水を買いたい自販機がない!!

あると思ってた…「岩村歴史資料館」の館内にも…駐車場のどこを探してもみあたらないのよ!!

 

さあ、どーする???

軽四で、城下町に降りてお茶を買いに行く…という方法が脳裏によぎったけど…

 

廻りには、自販機らしきものが一切ない…

道を挟んで駐車場の反対側には

お城のような宿泊施設「岩村山荘」があるだけ…

 

 

廻りには自販機は一切みつかりません!!

 

はい、ここで、これから岩村城跡に登ろうと思って、ここまできたものの…お茶を買い忘れたー!!持ってくるの忘れたーって方に朗報!!

 

岩村城址の山裾に建つ歴史ロマン溢れる宿 岩村山荘

ここに宿泊しなくても、立ち寄ればいいのよ!!

ロビー奥には、自販機がある!!…(笑)

 

ああ、ペットボトルのお茶が「まいうー!」…(笑)

 

まだ、岩村城址に登ってもいないのに…買った直後に…半分ほど呑んでしまいましたがな…まあ、いいか…

さあ、岩村城址本丸に向かって…出発だー!!!

 



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