名鉄広見線の
「終着駅」
御嵩駅に行く…
その御嵩駅周辺は、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう…
御嵩駅周辺は、願興寺の門前町として発達した中山道49番目の宿場の宿場町…だった…
御嵩宿…
のいにしえの風を感じることができるんですよ…
ところどころ、当時の街並みの雰囲気が感じられて…
御嵩宿本陣跡に残っている門
みたけ庵. 柏屋
古民家ふうの建物が残っています…
宿屋なのか、飲食店なのか、、ただ建物がこうして残っているのか、さっぱりわかりませんが…
路地に入れば御神木っぽく木の前には
祠が…
おそらく…江戸時代には「御神木」「御神木」と「木」から「気」をいただいて、旅の安全を願掛けしたに違いない
そんな御嵩宿…の中で
今回…商家いする???もとい…「紹介」する…のは
「御嵩宿商家竹屋」
ここ私の大好きな、無料!無料!要はタダで見学できちゃう!!…笑
主屋は、残念ながら思っていた江戸時代ではなく、明治10年頃の建築らしい…
ただ間違いなく江戸時代の建築様式を色濃く残す建物でして
「豪商」の家屋らしく広くて風格が感じられる建造物
平成 9年には、このうち「主屋」並びに「茶室」が御嵩町指定有形文化財になったそうな…
館内…スタッフのおばさん以外誰もいませんが
手指消毒とコロナでクラスターが発生した場合の連絡先を記入…誰もいなくてもマスクを着用して…とこれ、2020年になってからのお約束ですからね…
さてさて「商家竹屋」は江戸時代末期、本陣職の野呂家から分家した商家(しょうか)のようで…
この話をきいて「しょうか、しょうか」と頷く私…苦笑
まずは…玄関をくぐると
表店の間
日雇い表など当時の帳面がずらーと…
この角度で「豪商」になった、店の主になった気分で…
これが館内図…
切り妻2階建ての主屋のようで、一般的な家とは違って、店舗を目的とした造りの建物になっています…
働きながら、法被を着れば、気分もハッピー??…汗…
なんと…申しましょうか…汗
「野呂」のデザインがイケてますなあ…
表部屋にはちいちゃな灯籠が飾ってあります…
台所
「店」「中の間」「居間」「表座敷」「奥中の間」「奥座敷」といった整形6間取り…
その中の「中の間」
「中の間」には神様、宅神様が祀られていました…
「表座敷」から「奥中の間」その奥が「奥座敷」
「奥中の間」に飾ってあった襖…
この方が「野呂」さんでしょうか(商家)…
働きながら、のろのろしてると
さぞ、叱られたに違いない…
中庭を覗けば
風情のある光景…
ここは、炊事場あたり…
2階建てですが、2階の見学はできませんでした…
かまど…
「野呂」さん、毎日、そうとう呑んでいたのでしょうか(商家)…
中庭を挟んで、茶室
木造平屋建柿葺き
4畳半2部屋で構成されているとのことで、明治36年の相宅図には、茶室が記されていないことから、それ以後に建築されたものであるらしい…
その茶室と主屋で囲まれた風情の感じられる中庭…
切り妻2階建ての「土蔵」
建築年代は、主屋よりも後の大正年間頃とのこと…
一番奥にある新しい建物
「展示棟」の中には…
織物の機械が…
展示棟の前には「大八車」
野呂家は、本陣職から始まって
この、御嵩宿一体の大地主であったようで年貢米も大きな収入源であったとか…
明治時代以降は蓄えた財をもとに、株式投資や、名古屋の「竹屋街」と呼ばれる借家の経営を行っていたようで…
以上で
「商家竹屋」の商家い…もとい…紹介はおしまい!!!
これで、今回のブログ記事は終わりなんですけど…
実に…とりたててオモロイ記事でもなく
未しょうか(商家)…もとい…未しょうか(消化)だけど…
しょうがない…そう…しょうかない…
はい、しょうかない…ことはなくて…しょうか(商家)はありましたけど…笑
こんなブログじゃ読者減しょうか??(減少か??)…汗
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます