東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

先を見据えるということ② 中学生のうちから大学入試を意識することは必要か?

2018-05-03 12:30:09 | 学習・塾に関する中身
 私は「必要はない」と思っています。

 さあ、賛否両論ではなく「否否単論」になりそうですね(このくだり、以前にもしたおぼえが…)
 
 まず、中学生がその人生で得た知識と経験ごときで「大学入試」を見据えた行動ができるわけがないのですよ。(ごく小数ですが抜群に能力が高くできる生徒がいるとうことは否定しませんよ)

 というか、大学生であっても「その大学の名前」で選んだ学生がいるわけですからね。大学とは本来「高等教育」です。つまり義務教育ではありません(昨今の高校が義務教育化している現実を鑑みても)から、必ずしも全員が行く必要はないわけです。

 私は中学生に指導すべきことは「大学入試を見据えた勉強」ではないと思っています。必要な指導は「お勉強を通して、結果は努力に正直であることを体得させること」だと思っています。そしてその努力の過程を正しいものにすることこそ、指導者の力量であると考えるのです。

 入試制度がどうあれ、通う高校がどうあれ、大切なのは「自分自身の進路(人生)を切り開くのは自分である」ということを、中学生のお勉強と、高校入試という人生で最初の難関において努力する過程においてしっかりと自覚できるように指導をすることこそ大切だと考えています。

 旧帝大と言われる国公立大学に進学しなければいけない人は、本当に一握りです。「お勉強だけができる」人間が旧帝大と言われる大学に進むことに私自身は意味を見出せません(出身は奈良教育大学ですが、京大でこっそりと学び、京大の学生とともに学んだ経験をもとにしてに言ってますからね)。単にお勉強ができるだけで、目的意識が希薄な京大生を何人も見ました(逆にあなたこそ京大生にふさわしいと言う方もたくさんいましたよ)。そういう人たちは、(私が関わった限り)例外なく「お勉強ができることこそ正義である」と信じて疑わない方たちでした。

 ※私見ですが、こうした方々が「高学歴ワーキングプア」と言われる層の方々なんでしょうね。自分の経歴(学歴)を過剰に評価し、その経歴(学歴)があれば世の中はフリーパスだと信じて疑わない。自分の経歴より下と見た方に、自分を上回る能力があるはずがないと信じ込んでいる(認めたくない)んでしょうね。


 で、国公立大学や難関私立大学に進学することだけが正義ではありません。大切なことは自分自身がどのような人生を歩みたいと考えるか。そしてその人生を希望のものにするためにどのような進路を歩めばいいのか。そしてその実現方法を正しく知っていること。これこそが大切だと思うのです。そしてその進路を叶えるために、難関大学への進学が必要なのであれば、きちんと自分を鍛えればいいだけです。目的意識が希薄なまま、成績だけがいい人間になっても…。私が関わった限りにおいては敵が多い人間になっていましたね。

 人生の9割以上は「ご縁」でできていると思います。自分の努力なんて大したものではありません。出会った方々にたくさんの助けを頂いて初めて自分の進路を目指すことができるのです。本当に大切なことはここにあると思っています。

 私は「中学生のうちから大学受験を意識する」なんてことにあまり興味がありません。「先を見据えて」というのは、自分自身が自分で進路を決めることができるようになってもらうこと。そしてそのための努力を惜しまずにできる地力をつけてもらうことなんですね。

 もちろん「成績こそ正義だ」という考え方を否定する気はありません。そういう方々とは一生お話は合わないと思います。私は「お勉強はもちろん、お勉強も含めて大切なこと」を伝え続けていきたいと思っているんです。というお話でした。

 ※だからといって私の教室は人生塾というわけではないですよ
 ※どっかの先生とおんなじことを書いている気がしますね
 ※もちろんお勉強で結果を出すことも大切ですよ
 ※そして正しく自分の力を認識し、頼るべきは頼るという自分の弱さも謙虚に認めるべきですよ
コメント
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