「中学生がお勉強をする過程で、必ずしも先(大学、そしてその先)を見据える必要は必ずしもない」ということ。ここに関して、私は教える仕事を始めた頃からほとんど変わっていません。
しかしながら、中学生を指導する指導者が先を見据えなくてもいいわけではありません。
教え子たちが先へ進もうと思ったときに、教え子たちが幼い頃に受けた指導が「あっ、このことだったのか!」と生きるように指導をするべきだと考えるわけです。
大学へ進学するということは、大学に進学しないと身に付かない能力を獲得するということです。高校までの学習では獲得できない高等教育を享受するということです。ただ単に「大卒」という資格を得るために進むわけではないと思うのです。
巷の指導者の考え方として「大学進学ありき」というものがあるように見受けられます。国公立大学や関関同立や東京6大学に進むことが正義ではないわけです。教え子たちが中学から高校へ進み、視野が広がって自分の進路を真剣に考えたとき、その先の進路を切り開くための力を備えてもらうための指導をするべきだと考えています。
そのためには、指導する側が教えるべき中身を取捨選択するべきではないと考えます。義務教育で学習すべき内容ごときで「効率の良いお勉強」をする必然性を感じないんです。その生徒が将来必要になるかどうかなんて、指導者が判断できる事柄ではないと考えています。
・私立高校の受験に際して、なんでもかんでも上のコースを選択すればいいというものではありません。
・指定校推薦を狙うためには、受験のレベルを下げておくほうがいいと思います。
・内申点が心もとないので、私立高校の専願がいいでしょうね。
こうした事柄もまた「へえ、あなたは教え子がその進路指導で1番伸びるんだと断言できるんですね。すごいですね」と思うんですよ。
私は、小学生~中学生の大切な時期を預かる指導者が、教え子たちの可能性にふたをするような指導をすることがあってはならないと思います。だからこそ「努力する過程で、努力は結果に正直であることを体得してもらう」ことをお勉強を通して学んで欲しいと思いながら指導をしているのです。
先を見据えるとは? 私ごときの指導者では教え子がどんな将来を描くかなんて分からない。だからこそ、どんな未来を描いても描ききることができるように、教え子の将来の設計図を少しでも大きく修正のききやすいものにしておくこと。そのために必要な知識を取捨選択したり、効率に頼ったお勉強をしないように導くことだと思っています。
私自身は大学のときに「既知の知識を使って未知の事柄の解明に立ち向かう」という自然科学の本質を付いた探究をする経験をしました(これは大学の入試制度がどんなに変わろうが、大学で行われるべき教育の本質だと思いますよ)。そのためには、「効率の良いお勉強」は邪魔にしかなりません。泥臭く物事に愚直に取り組まないといけないのです。未知の事柄を探求するためには「お手軽さ」は足かせにしかならないのです。
教え子たちにはそんな指導(教育)はしたくありません。だからこそ、暗記に頼らずできるまでやること。でもその礎となる「覚えておくべき基礎基本」はそろばん指導を通して徹底的に鍛えること。
私が先を見据えて行っている指導とはそういう意味合いです。
しかしながら、中学生を指導する指導者が先を見据えなくてもいいわけではありません。
教え子たちが先へ進もうと思ったときに、教え子たちが幼い頃に受けた指導が「あっ、このことだったのか!」と生きるように指導をするべきだと考えるわけです。
大学へ進学するということは、大学に進学しないと身に付かない能力を獲得するということです。高校までの学習では獲得できない高等教育を享受するということです。ただ単に「大卒」という資格を得るために進むわけではないと思うのです。
巷の指導者の考え方として「大学進学ありき」というものがあるように見受けられます。国公立大学や関関同立や東京6大学に進むことが正義ではないわけです。教え子たちが中学から高校へ進み、視野が広がって自分の進路を真剣に考えたとき、その先の進路を切り開くための力を備えてもらうための指導をするべきだと考えています。
そのためには、指導する側が教えるべき中身を取捨選択するべきではないと考えます。義務教育で学習すべき内容ごときで「効率の良いお勉強」をする必然性を感じないんです。その生徒が将来必要になるかどうかなんて、指導者が判断できる事柄ではないと考えています。
・私立高校の受験に際して、なんでもかんでも上のコースを選択すればいいというものではありません。
・指定校推薦を狙うためには、受験のレベルを下げておくほうがいいと思います。
・内申点が心もとないので、私立高校の専願がいいでしょうね。
こうした事柄もまた「へえ、あなたは教え子がその進路指導で1番伸びるんだと断言できるんですね。すごいですね」と思うんですよ。
私は、小学生~中学生の大切な時期を預かる指導者が、教え子たちの可能性にふたをするような指導をすることがあってはならないと思います。だからこそ「努力する過程で、努力は結果に正直であることを体得してもらう」ことをお勉強を通して学んで欲しいと思いながら指導をしているのです。
先を見据えるとは? 私ごときの指導者では教え子がどんな将来を描くかなんて分からない。だからこそ、どんな未来を描いても描ききることができるように、教え子の将来の設計図を少しでも大きく修正のききやすいものにしておくこと。そのために必要な知識を取捨選択したり、効率に頼ったお勉強をしないように導くことだと思っています。
私自身は大学のときに「既知の知識を使って未知の事柄の解明に立ち向かう」という自然科学の本質を付いた探究をする経験をしました(これは大学の入試制度がどんなに変わろうが、大学で行われるべき教育の本質だと思いますよ)。そのためには、「効率の良いお勉強」は邪魔にしかなりません。泥臭く物事に愚直に取り組まないといけないのです。未知の事柄を探求するためには「お手軽さ」は足かせにしかならないのです。
教え子たちにはそんな指導(教育)はしたくありません。だからこそ、暗記に頼らずできるまでやること。でもその礎となる「覚えておくべき基礎基本」はそろばん指導を通して徹底的に鍛えること。
私が先を見据えて行っている指導とはそういう意味合いです。