私は学力を上げるために必要な第一義は「習慣を変えること」だと思っています。
※ 「分からないことを分からないままにしていて平気」という習慣を変える。
小学生のうちに「意味調べ」を身につけて欲しいのです。小学校でも辞書を使うよう指導はしています。でもこの指導は「辞書の意味を写せばOK」というものです。私はこれを「辞書写し」と生徒に伝えています。意味調べは「自分自身の言葉に落とし込む」ところまで。つまり「次から作文で調べた言葉を使用できる」まで理解しなさいねと伝えています。
国語はもちろん、どの教科においても問題文の意味を捉えることができない状態で、問題を解けるわけがないのです。語彙を豊富にしておくことは先へ進んだときに全ての能力を開花させることにつながるはずです。
※ 「こんなもんでええやろ」という妥協の習慣を変える
そろばん学習では「すべてを丸にするまでやり直す」ことを主眼においています。これはそろばんにとどまらず、暗算の指導においても、そして漢字の読み・書きの指導においても、夏休みチャレンジ(暗誦)でも同じです。一箇所でも間違えれば、きちんと全部合うまでやり直しになります。
「90点とれたらええやん」という考え方を捨てて欲しいのです。妥協を繰り返すと、妥協が当たり前の習慣が残ります。それは子供たちの成長過程において何も生み出さないと考えています。
※ 「言われたことだけやる」という習慣を変える
まずは「言われたこと(指示されたこと)」をこなすことは大切です。しかしながら、指示されたことをこなすだけでは「指示されなくなったときにできなくなる」という危険性を大きくはらんでしまいます。私は「言われたこともやる」という姿勢を育てたいのです。言われる前にしてしまう。後回しにしない。そして自分が必要だと思うことを上乗せて頑張る。こうしたことができるようになって欲しいと願って指導しています。
※ 「頑張っても報われない」という習慣を変える
たとえばテストで前回より成績を上げたときに「次はもっと頑張ろう!」と言われれば、子供たちのモチベーションが上がるわけがありません。「〇〇くん(さん)はもっといい成績でしょ」なんて言われたこどもが、次も頑張れると思われますか?
私は、努力を通してでた結果は全力で認めています。「子供たちの愚直な努力が報われる場」でありたいのです。だからお祭りをするのです。そこで今までの努力をみんなの前で認めるのです。そうして少しでも子供たちが前に進むための力をつけてくれればいいと思っているのです。
私は、お預かりしている子供たちの努力を純粋にすごいと思っています。でも大人は、子供たちの能力が伸びてくるともっと伸びろと欲がでてきてしまいます。でもね、子供たちは「少し伸びる」ために、子供たち当人は大人が思うよりもはるかにしんどい努力をしているのです。いや、大人から見たらたいしたことのない努力でも、その当人はすごい努力だと感じているのです。
大人でも何かのプロジェクトを達成したり、ノルマを達成した後「じゃあ次はもっといけるな」と、さらに上の仕事を指示され続けたとしたら? 多分もたないですよね。
子供たちに「成績を上げ続けろ!」と大人が言うのは、そうしたことと同義なのです。いったん成績を上げたら、その成績を維持するための努力が必要になるんです。そしてその努力を普通にこなせるようになって、やっと次の目標に向かうためのさらなる努力ができるのです。
私は、習慣を変えるための場を提供したいと思って子供たちを指導しています。そして愚直な努力が報われる場を提供したいと思っています。
高校進学や大学進学は、そうして心の栄養をたっぷりつければ向かっていけるようです。私の教室の卒業生には、お預かりした当初では考えられない進路を歩んでいる者がたくさんいます。もちろんその進路を勝ち取るための努力をしたのは本人ですが、その報告に笑顔で来てくれる生徒もまたたくさんいることは、私の指導が少なくとも教え子の害にはなっていないことの証であると思っています。
これまでもこれからも、私は子供たちに身に付いてしまった「悪しき習慣」を少しでも変えていきたいと思って頑張ります。私は大人なので、愚直な努力をしても結果がでないこともあって当然なのですが、勝ち取った進路を笑顔で報告に来てくれる教え子たちに、自身の努力の結果を伝えてもらえる環境に日々感謝しています。
※ 「分からないことを分からないままにしていて平気」という習慣を変える。
小学生のうちに「意味調べ」を身につけて欲しいのです。小学校でも辞書を使うよう指導はしています。でもこの指導は「辞書の意味を写せばOK」というものです。私はこれを「辞書写し」と生徒に伝えています。意味調べは「自分自身の言葉に落とし込む」ところまで。つまり「次から作文で調べた言葉を使用できる」まで理解しなさいねと伝えています。
国語はもちろん、どの教科においても問題文の意味を捉えることができない状態で、問題を解けるわけがないのです。語彙を豊富にしておくことは先へ進んだときに全ての能力を開花させることにつながるはずです。
※ 「こんなもんでええやろ」という妥協の習慣を変える
そろばん学習では「すべてを丸にするまでやり直す」ことを主眼においています。これはそろばんにとどまらず、暗算の指導においても、そして漢字の読み・書きの指導においても、夏休みチャレンジ(暗誦)でも同じです。一箇所でも間違えれば、きちんと全部合うまでやり直しになります。
「90点とれたらええやん」という考え方を捨てて欲しいのです。妥協を繰り返すと、妥協が当たり前の習慣が残ります。それは子供たちの成長過程において何も生み出さないと考えています。
※ 「言われたことだけやる」という習慣を変える
まずは「言われたこと(指示されたこと)」をこなすことは大切です。しかしながら、指示されたことをこなすだけでは「指示されなくなったときにできなくなる」という危険性を大きくはらんでしまいます。私は「言われたこともやる」という姿勢を育てたいのです。言われる前にしてしまう。後回しにしない。そして自分が必要だと思うことを上乗せて頑張る。こうしたことができるようになって欲しいと願って指導しています。
※ 「頑張っても報われない」という習慣を変える
たとえばテストで前回より成績を上げたときに「次はもっと頑張ろう!」と言われれば、子供たちのモチベーションが上がるわけがありません。「〇〇くん(さん)はもっといい成績でしょ」なんて言われたこどもが、次も頑張れると思われますか?
私は、努力を通してでた結果は全力で認めています。「子供たちの愚直な努力が報われる場」でありたいのです。だからお祭りをするのです。そこで今までの努力をみんなの前で認めるのです。そうして少しでも子供たちが前に進むための力をつけてくれればいいと思っているのです。
私は、お預かりしている子供たちの努力を純粋にすごいと思っています。でも大人は、子供たちの能力が伸びてくるともっと伸びろと欲がでてきてしまいます。でもね、子供たちは「少し伸びる」ために、子供たち当人は大人が思うよりもはるかにしんどい努力をしているのです。いや、大人から見たらたいしたことのない努力でも、その当人はすごい努力だと感じているのです。
大人でも何かのプロジェクトを達成したり、ノルマを達成した後「じゃあ次はもっといけるな」と、さらに上の仕事を指示され続けたとしたら? 多分もたないですよね。
子供たちに「成績を上げ続けろ!」と大人が言うのは、そうしたことと同義なのです。いったん成績を上げたら、その成績を維持するための努力が必要になるんです。そしてその努力を普通にこなせるようになって、やっと次の目標に向かうためのさらなる努力ができるのです。
私は、習慣を変えるための場を提供したいと思って子供たちを指導しています。そして愚直な努力が報われる場を提供したいと思っています。
高校進学や大学進学は、そうして心の栄養をたっぷりつければ向かっていけるようです。私の教室の卒業生には、お預かりした当初では考えられない進路を歩んでいる者がたくさんいます。もちろんその進路を勝ち取るための努力をしたのは本人ですが、その報告に笑顔で来てくれる生徒もまたたくさんいることは、私の指導が少なくとも教え子の害にはなっていないことの証であると思っています。
これまでもこれからも、私は子供たちに身に付いてしまった「悪しき習慣」を少しでも変えていきたいと思って頑張ります。私は大人なので、愚直な努力をしても結果がでないこともあって当然なのですが、勝ち取った進路を笑顔で報告に来てくれる教え子たちに、自身の努力の結果を伝えてもらえる環境に日々感謝しています。