超人日記・俳句

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<span itemprop="headline">柴田南雄のマーラーを読む</span>

2009-10-09 14:59:40 | 無題

柴田南雄氏の「グスタフ・マーラー」を読んだ。マーラー好きの人なら必読書のはずで、すでに読んでいる人も多いだろう。
この本の特徴は、作曲家の眼から見たマーラーの作曲法の面白さを、曲別に縦横無尽に語っているところだ。いわば作曲の常識に照らして、どこが破格で独創的なのかを飽くことなく拾い上げている。
まずマーラーの独創性は、交響詩と交響曲の区別を取り払ったところだと柴田氏は言う。
普通なら標題音楽の交響詩で済ませるところを、敢えて交響曲の分類に入れる。そこで標題音楽的なことを平気でやる。
それからこれはよく言われることだが、錯綜する引用や借用の数々。バロックからロマン派まで、シナゴーグの音楽から幼少時に耳にした軍楽隊の音楽まで、自在に引用する洒脱さ。これはマーラーの楽しみの秘訣の一つである。私も第一番「巨人」に「フレール・ジャック」の楽想が使われているのに気づいて、驚いた経験がある。
洋泉社の「クラシック名盤&裏名盤ガイド」は私の愛読書だが、その中でもマーラーの音楽はいろんなアプリケーションを多数備えてていて、時と場合に応じて立ち上げるウィンドウズのようだと書いてある。これは昔風に言えば、音の宝石箱を引っ繰り返したような音楽ということだろう。
作曲家の眼で見ると「このような思い切った楽想と楽器法で」交響曲を書いた例はなかった、と柴田氏は言う。こうしてマーラーの醍醐味の秘密を次々と言い当てられると、伝記や逸話や聞いた感覚でしか音楽を表現できない、文系の私としては、ことごとく新鮮な説明に思える。
また、現代音楽の作曲家である著者は、現代音楽の萌芽をマーラーに見ているし、音楽史的にも、シェーンベルクの擁護者であり、ツェムリンスキーの楽友であり、リヒャルト・シュトラウスの親しき友人であり、ショスタコーヴィチに影響を与えた接合点としてのマーラーにも光を当てている。
何より音楽好きの一日本人が、戦前、戦中、戦後にどうマーラーの情報を得て、受容してきたかを、生き証人として語り伝えているのが貴重な点であろう。クラシックと日本の郷愁の融合に心を砕き、「府中三景」という連作合唱曲を遺して逝った柴田南雄氏の原点の一つを見た思いがする。



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