超人日記・俳句

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#俳句・川柳ブログ 

<span itemprop="headline">バッカスの今日的意味</span>

2009-10-20 17:46:36 | 無題

バッカスとして知られるディオニュソスは不思議な神である。人を狂わせ解き放つ。ディオニュソスに憑依された者は、通常なら結びつかない異なるものどうしを結びつける創造性を発揮する。そのためディオニュソスは詩作をつかさどり、詩のジャンルである悲劇と喜劇の守り神となった。
ディオニュソスは今で言えば脳内麻薬の神である。適量に分泌されると創造性を発揮するが、度を超すと発狂してしまう。私は経済もディオニュソスと深い関わりがあると思う。広告を見て気を惹かれるのは、日常性に異質なものが介入した時であり、神経が興奮したときである。人間はむき出しの自然をいったん遠ざけて様々な禁止をもうけることで人間になった。けれども芸術や文学や宗教や祝祭の形で、ひとは決まりからの出口を見つける。そのことで快感サーキットを全開にするのである。買物は祝祭のミニチュア版であり刺激を感じるとそれだけ鼓動が速くなり、欲望が掻き立てられるのである。つまり人はディオニュソスを欲しがるのである。それが経済を回転させている、とも言える。
プルタルコスは「モラリア」のなかで、デメテルが穀物の女神であり、固体の自然であるのに対して、ディオニュソスは液状の自然(ヒュグラ・ピュシス)の神だと言っている。ぶどう酒に加えて川の流れや樹液、血液の流れや体液といったものに古代人はディオニュソスを感じていた。私は都市の物流や貨幣の流通にもディオニュソスの働きを感じる。それらは快感サーキットの具現化であるからだ。
だが、ハイデガーがオットーの著作「ディオニュソス」を絶賛し、ニーチェがディオニュソス的な哲学を主張したことを思えば、ディオニュソスこそ、万物の根底に流れる暴力的な生命力の神であり、物事を立ち現わせる存在の潜勢力の神だということの方がより深い解釈だと言える。そのように文化の根底にある潜勢力として多様な読み方のできるディオニュソスであるが、ローマ人の想像力はより具体的で即物的だった。火山の噴火で埋まった町ポンペイで出土した通称「バッカスとヴェスヴィオ山」と呼ばれる絵には、ヴェスヴィオ山とディオニュソスの象徴の一つで大地の力を表す大蛇とともに、胴体の部分がぶどうの房になっていて、それに顔と手足のついたバッカスの像が描かれている。このリアルで即物的な想像力に驚く他ないが、ディオニュソスという危険な創造性のイコンとして、部屋に飾りたい一枚である。



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