8時に豪徳寺で友人と待ち合わせて、豪徳寺パティヤラパレスで談笑した。
ダル・マサラ、チキンコルマ、シシカバブを食べて近況を話す。
友人が話した話は以下の通りである。
紅白は能年玲奈と綾瀬はるかの天然ぶりがよかった、
地元に帰ろうで終わったのは自分としては正解だった、
あまちゃん総集編は肝心なところを飛ばす、
夏が夫を探すところで潮騒のメモリーが掛かるのがよかったのに
そこを飛ばされるのは解せない、
種市高校が種市先輩の由来とは知らなかった
あまちゃんの最後は勉さんの扱いがひどい、
悪霊島の話を本で読んでネットで映画を見た、
鵺の啼く夜は恐ろしいだ、
余りにどぎつい話で辟易した、見なきゃよかったぐらいだ、
転校生の頃の小林聡美はかわいらしかったのか、
ブログで解かり澄ましたようなことを書いて、
けなしてやろうと思ったが、最後は自分は妄執のかたまりだという
落ちがあって安心したよ、
一体どこに話を落とすのかと思ったら、
自分は当分救われないと書いてあって微笑ましい、
それにしてもあの人を喰ったような短歌はなんだ、
人の知らないような下世話な話を何であれこれ知ってるんだ、と喋っていた。
二人で10%引きで4千45円。
私は思い出し笑いをしながら帰って、
降りる駅を間違えた。
久しぶりにダル・マサラを食べて談笑した。土産に山口県のういろうを貰う。
お互いの笑える所を笑い合い年を迎えてういろうを貰う
仏陀が何を言いたいのか知りたくて、仏伝を見比べた。
増谷文雄さんの「この人を見よ」という釈尊伝では
仏陀の真意は書けないと言っている。
書けないでは話にならない。
菅沼晃さんの「釈迦のことば」をめくってみた。
原始仏典の仏陀の発言が前半引用されている。
仏陀の真意は何か。
「釈迦のことば」の後半、仏伝が記される。
そこで仏陀の真意が紹介されている。
まず縁起である。原因があって結果がある。
無明(蒙昧・迷い)によって苦が生ずる。
老病死などの苦の原因は無明である。
無明を脱することで苦が滅する。
さらに渡辺照宏さんの「新釈尊伝」で仏陀の真意を読む。
無明がなくなれば、生まれてくることもなく、
老病死もなく、苦もない。
無明を滅ぼし、苦の根にある渇望を滅ぼし、
相応しく身を持して暮らすことが仏陀の真意であるという。
菅沼晃さんの「仏陀 33の物語」ではこうある。
苦は老死によって生じ、老死の生は無明(根本煩悩)によって生じる。
現実の苦悩が老死によって生ずるとすれば、
苦悩がなくなるためには老死がなくなり、
ないし、その根源である無明すなわち根本煩悩が滅しなくてばならない。
仏陀は長い間家屋を作る者、すなわち
個体を突き動かし苦しみを与えているものとは何かを求めてきたが、
今、その正体が妄執、執着であることが分かった。
妄執を失くせば、もはや家屋の作り手(我執)は再び家屋(生の苦悩)を作ることがない。
心はとらわれなく、からりとした状態になった、とある。
鈴木大拙はその要点を、
「汝、屋舎の主(生の苦悩の本体)よ、
今こそ汝の正体(無明、我執、妄執、執着)を認めた。
これからは、またと屋舎(迷いの生)を作るなよ。
汝の梁は折れた、棟木は崩れた。
有為転変の相を離れて、貪愛の心はうちひじかれた。」と訳したという。
そこまで読んできたが、私はCD欲、読書欲など妄執で一杯である。
当分救われそうもない。
妄執で楽しく遊び呆けても辿りつけるか無垢なところへ