ダリウス・ミヨー作品集「幸福だった私の一生」のCD集を聞いている。
ダリウス・ミヨーはフランシス・プーランクと同様フランス6人組の一人。
フランス6人組はエリック・サティを父とし、ジャン・コクトーを兄とする1920年代の芸術家群像。
晶文社の「フランス6人組」を読んだが6人に共通する作風というのは判然としない。
リヒャルト・ワーグナーとクロード・ドビュッシーの影響からの逃亡、フランスらしさへの回帰、歌の復権、和声の気紛れな結びつき、不協和音を多用した調性音楽、曲想を展開させるのではなく立て続けに並べて見せる手法、家族的作風、などと評される。
同じ6人組でも聞いてみたところ、フランシス・プーランクとダリウス・ミヨーはかなり印象が異なる。
プーランクはサティの延長線上にあるピアノ曲を書く。そうしてシャンソンの民衆性を小粋に取り入れて
短い歌曲を多数書いた。
ダリウス・ミヨーはもっと奔放でリズミカルで、時折ジャズの影響も聞こえ、何より現代音楽により近い。
屋根の上の牛やバレエ音楽、オーケストラ作品で調子っぱずれな陽気な激走を見せる。
協奏曲で、現代音楽に近い響きを鳴らして見せる。
プーランクのように照れながら戯れるシャイなエスプリは感じられない。
だが、線の太い独特の実験精神がどの作品からも聞き取れる。
ジャン・コクトーの声明「雄鶏とアルルカン」、それに続く6人組の声明「ル・コック」の内容を読む。
彼らにはストラヴィンスキーは物凄い一撃だった。加えてジャズの席捲が彼らを見舞う。
ジャズは私たちを目覚めさせた、だが私たちは違うことをやろうと懸命に言っている。
プーランクはシャンソンの小粋さに出口を見出し、ダリウス・ミヨーは曲にジャズを使った。
6人組精神というものに確かな共通性は判然と見当たらない。
だが、新時代の息吹を感じさせる家族的な実験精神と言ったところが6人組らしい要素だろうか。
私が聞いたところ、ダリウス・ミヨーの調子っぱずれもいい感じである。
「幸福だった私の一生」という自伝と同じCDタイトルもいい感じだ。
思い切り羽目を外して激走しその幸福な生涯を歌う