最近セルジュ・チェリビダッケのベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーを久しぶりに集中して聞いた。
ベートーヴェンは構えが大きく堂々とした風格。
「運命」が入っていないボックスもあるので要注意。
1番の録音はない。
グラモフォンのブラームス1番とブルックナー4番にはお得意の掛け声が入っている。
掛け声を出して演奏に気合を入れるのだ。
この2曲は掛け声が十二分に堪能できる。
EМIのブルックナー4番など、第4楽章の最後に少し掛け声が聞こえる程度なので掛け声を期待して聞くと物足りないぐらいである。
演奏は美しい。
チェリビダッケがその演奏の美しさに自分自身で入り込んでしまっているような具合である。
EМIの録音に掛け声が少ないのは、演奏の美しさに瑕疵をつけたくないというチェリビダッケの願いのようにも思える。
逆にストゥッツガルト響とのグラモフォンの演奏に掛け声が多いのは、気合を注入したいという思いの強さのようにも聞こえる。
最近エミール・デュルケムの読書が進まなくて辟易している。
本筋に入る前の前置きが長いのだ。
なかなか要を得ない。
明日こそ数十ページ読もうと意気込んでいる。
オールフリーを飲んで、クナッパーツブッシュの指環のワルキューレの終幕を聞いて自分に気合を注入している。
晩秋の寒さをしのぎ遠き日の大演奏にわれを忘れる