超人日記・俳句

俳句を中心に、短歌や随筆も登場します。

#俳句・川柳ブログ 

ヘーゲル入門を読む

2020-10-04 14:37:53 | 無題
竹田青嗣・西研著「はじめてのヘーゲル」を読む。
「精神現象学」という本では、
意識が知識の獲得とその乗り越えの旅を繰り返し、
いま、ここの感知から始まって、
外界も私の意識と別物ではないという
自覚に至り、
自分を他人に承認させる闘争を経て、
自由な理性的人格を人が手に入れるまでの古代・近世・近代の歴史を
世界精神の自己展開の歩みとしてたどり直す。

さらに、精神はキリスト教と向き合い、神と私は別物でないという
自覚に達する。

最終的に、神の自己展開としての精神を
人間が感得する、絶対知の境地に至り、
個人の意識の旅と哲学史と歴史が完結するという
長大なストーリーであることを確かめる。

人が神を知ることは、神が外化して自分を知ることであり、
その歩みが、個人の意識の発達と、
古代・近世・近代の自由への歩みと、
哲学史の完成へ向けた運動に、重ね合わされている。

高度に難解な、ヘーゲルの考えも、ストーリーと受け取れば
何とか視界がひらけてくる。

精神が絶対知まで旅をするその道のりは神の展開
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カント入門を読む

2020-10-03 14:35:36 | 無題
竹田青嗣著、「はじめてのカント」読む。
理論理性は、感性と、悟性(=理解力)で、現れとしての物をそれと理解できる。
感性の先天的形式は時間と空間。時間と空間がないとすれば、何も判らない。
時間と空間を知っているので、悟性の枠が成り立つ。
悟性の枠があれば、物をそれとして、知ることができる。

さて、自由とか、魂の不死とか、神がいるかを理性で考えると
あるとも言える、ないとも言える、という矛盾に陥る。
この問題は、理性で証明することは、できない。

だが人は実際生きていくうえで、道徳を必要とし、
道徳的に生きていくために、神を必要とする。

そこで人の反省的判断力は、自然を合理的に作った創り主がいると
仮定し、その創造の目的は、実現が期待される最高善である、とする。

そのようにカントが考えていたという、頭の整理がついた。

認識の受け皿がまず先に有り、その対象がそれと知られる




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