荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

ふるさとー2/海辺で

2015年04月28日 | 散文
故郷は半農半漁の村で、少しだけ商人の町である。
海岸近くに天満宮がある。
私はこの広大な境内の一角にある保育園のOBである。

毎日鳥居をくぐって通った。
従って、この天満宮は子供の頃からよく遊んだ場所である。

天神様に行けば必ず在る牛の像がここにもある。



学問の神様だけあって、筆塚がある。

成る程と思うが、他の天神様では見ない。

そして、ウグイスの像がある。
道真公の梅に因んだものだと思うが、これも他で見ない。

住民の信心の深さを物語っており、また、これらの物を捧げる裕福さがあった事も想像できる。

広大な敷地の四方に鳥居があり、奥の鳥居の向こうは、かつて漆器製造販売で栄えた町家が並んでいた。



町家と反対側にも白砂青松の浜が続いて、やはり遠くに鳥居がある。



本殿の左側の鳥居の向こうは海である。

そこには海水浴場があって、泳いだり魚釣りをしてよく遊んだ。

海岸から見るとこんな感じ。

菅原道真公が大宰府に流される途中、この浜に上陸した。
地元の漁民が接待しようにも敷物が無い。
そこで、漁具の綱を円盤状に巻いたものを間に合わせに敷物として提供した。
その由来から、ここを「綱敷天満宮」と言う。

子供の頃、随分遊んだ漁港である。
向こうに唐子山が見える昔ながらの風景であるが、堤防が改修されて新しい。

あの山には昔砦があった事から子供の間で「4と9の付く日に登ると、お姫様の幽霊が出る」との伝説があった。
中学生になってから(やっぱり怖かったので大きくなってから)何度か登ったが、何も起こらなかった。

新しい堤防の突端まで来てみた。
港の外側の海を見ると、足が竦んだ。

向こうに「しまなみ海道」の来島大橋が霞んでいる。
手前の白砂青松の浜には、昔レジャー施設があって、夏休みには貸しボート屋のアルバイトをした。

今日は、堤防の上でコンビニおにぎりを食べた。

海岸脇の街中に行ってみる。
かつては、商店と民家が混在した、賑やかな「町」であった。

親戚の家が洋品店を営んでいて、羽振りの良さを羨ましく思っていた。

一角にこんな標識が立っていた。

矢印の方へ行って海岸に出ると、サイクリングロードができていた。

海に向かって真っすぐに幾筋かの通りがある。



道路を進むとやがて漁港が見えて来て、海に出る街の造りになっている。



小学生の頃までは、沖に見える島に同級生の親戚1家族が住んでいた。



海に向かう道路は整然としているが横方向の道路は複雑で、今でも迷路である。



小中学校の同級生の実家があった。
彼の兄が親の後を継いだと思う。

入口の張り紙には「3月31日で閉店する」旨書かれていた。
コメント
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