7.沖浦石風呂
石風呂の歴史は、奈良時代に国分尼寺の開基、証爾尼が民百姓の労苦をいやす目的で始め、法徳院を建てて薬師如来を祀ったという。
桜井法華寺に伝わる「温石窟縁起」には弘法大師もここを訪れ、「除病延寿の勝計、この温石に過ぎたるはなし」と述べたとの記録もある。
又、別に弘法大師が薬師如来をきざんで残したとの伝もある。
石風呂入口に南明禅師の詩碑があるが、禅師延宝4年より9年まで(1676~1681)日高のヨウ月院に居た頃、石風呂に入浴にこられ、その著効を称えたものである。
今から三百数十年前のことです。
この頃、身分の高い人達は、「ライ病は不治の汚らしい病であって、名門をそこね、血統を悪くする。」と粗末な小船にのせて暗闇の夜、人目を忍んでそっと海に流すという悪い風習がありました。
ある時、ある高貴なお姫様がこの病にかかり、泣き泣き風習に従い海へ流されました。
波間に漂うこと数日、今や死をまつばかりのとき、運良く潮流に乗って、桜井の裏手の浜に漂着し、この地方の開拓者、長野孫兵衛によって救われました。
お暇様は孫兵衛のすすめによって、自然の洞窟内でしだを焼いてもらったところで体を温め、潮水でひたした石の上に座って治療につとめたところ日増しに快方に向かい、何ヶ月か後に治癒しました。
お姫様は、孫兵衛の御恩を厚く感じて、その後の生涯を孫兵衛の側近として仕えたということです。(一説には、孫兵衛の妻になったとも言われています。)
<筆者>
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