8.大仏開眼式{桜井郷の民の絁(あしぎぬ)}・東大寺
天平勝宝4年(752)4月9日、東大寺の大仏開眼式が行われ、聖武天皇、考謙天皇行幸のもとに請僧一万と云われました。
この式典の楽人の衣装に桜井郷の民の絁が使用されました。落慶式の調度はすべて正倉院に納められ、本日まで保存されています。
大正十四年の正倉院曝涼に故山本信哉博士は図らずしも大仏開眼供養に奉仕した楽人の装束の袖裏のほころびから下の文字を発見した。
「天平十八年九月、伊予国越智郡桜井郷戸主葛木部龍、調絁六丈」と書かれ、伊予国印、越智郡印が押されています。
桜井郷の民、葛木部龍の家族の手織の絁が、調として納められ、それが今日までその名と共に残っているということ、当時国分寺が造営されつつある伊予国桜井郷の民の貢が、国分寺総元締である東大寺の大仏開眼式に使用されたという、不思議な恩縁といえる。
<筆者>
調査していたらこんなブログに出会いました。
こちらでは「石井郷」と記載されています。
どちらが正しいのでしょうか?
絁についてはこちら