御茶ノ水駅です。

横断歩道の向こうに1本の椋の木があります。
まだ新芽が出ていません。

横断歩道を渡ります。
右手にニコライ堂が見えます。

渡り着いた場所は「淡路坂」です。

「この坂は、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上には太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。」
振り返ります。
先程の説明柱の手前に椋の木があります。

御茶ノ水駅のホームの上です。




木に「元宮」の文字があります。
「一口神社」とも「太田姫稲荷」とも書いています。
えっ、これが神社!?

説明板もあります。

「一口である太田姫神社は江戸城外堀(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田川を開削した時 江戸城の結界また鬼門の護り神として旧江戸城(現皇居)よりこの地に移された。
昭和6年(1931)総武線開通に伴い現在の駿河台下に移る。
尚鉄道(「甲武線」中央線の前身)は濠の中にあり開通時天皇家との間に濠幅を減じない巾で、商業を営まない、環境を守るとの約束がある(明治期鉄道史より)」
その神田川と鉄道です。


横断歩道の向こうに1本の椋の木があります。
まだ新芽が出ていません。

横断歩道を渡ります。
右手にニコライ堂が見えます。

渡り着いた場所は「淡路坂」です。

「この坂は、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上には太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。」
振り返ります。
先程の説明柱の手前に椋の木があります。

御茶ノ水駅のホームの上です。




木に「元宮」の文字があります。
「一口神社」とも「太田姫稲荷」とも書いています。
えっ、これが神社!?

説明板もあります。

「一口である太田姫神社は江戸城外堀(神田川)を作るにあたり伊達家と徳川家が神田川を開削した時 江戸城の結界また鬼門の護り神として旧江戸城(現皇居)よりこの地に移された。
昭和6年(1931)総武線開通に伴い現在の駿河台下に移る。
尚鉄道(「甲武線」中央線の前身)は濠の中にあり開通時天皇家との間に濠幅を減じない巾で、商業を営まない、環境を守るとの約束がある(明治期鉄道史より)」
その神田川と鉄道です。
