数年ぶりに遭遇しました。名前やら色合いやら、当時と同様の感想を持ちました。周りと異なるクリーム色の消防施設です。「江戸川消防団第三分団第二部 防災資機材格納庫」という厳しく長ったらしい名前です。何が入っているのだろう?
前面道路西の中空には首都高中央環状線が見えます。中川、荒川に近い場所です。興味が湧いて、すぐ先の路地を左折しました。
すぐに「江戸川区立五分一会館」が在りました。住所は江戸川区松原1丁目です。「五分一」に何かの謂れがあるように思います。
会館の周辺を探ってみようと思いましたが、その前に眼の前の電柱看板に気持ちが動きました。いやいや、あっちは会館と反対側の場所だよ、と思ったけど、ちょっとだけ覗いて戻って来れば良いと思いました。電柱の向こうを右折します。
角を曲がったらすぐに床屋が在りました。
チェーン店でない床屋です。
2階が住居のようです。
店の前の駐車場に、床屋専用の駐車スペースを設けています。銭湯と同じで、最近は床屋も数が減って近所に無くなりました。界隈は電車もバスもありません。自家用車で行くしかなくなっているのが下町の実情です。車を持ってない人は暮らしにくくなっています。
さて、さっきの会館に戻ろうと思ったら、古いアパートの玄関先が春らしい光景です。下町の人は草花を植えるのが好きです。
アパートの奥は新築住宅です。
路地の突き当りの屋根の向こうには郵便局らしい建物です。案外地区の中心に近いのかも知れません。
中川・荒川を越える橋に出ました。「小松川橋」です。橋を潜ります。
そこには病院が在りました。いわゆる町中の開業医院です。子供に警戒されない色合いが好いです。
目を向けると、すぐ先が中川の土手です。すっかり「五分一会館」から離れてしまいました。もう戻るのは億劫です。このまま散策を続けながら自宅に帰ります。
また橋を潜ります。船堀橋です。
神社が在ります。下町では多くの神社に出逢います。通る人が立ち止まって、おじきをしていく姿をよく見かけます。特に界隈は、低地で大きな川に近い場所です。昔から水害が多かった場所だと思います。後ろには首都高小松川線が走っています。東京の下町に暮らすとはこういことです。氏神様に感謝して、高速道路を見上げて暮らしています。
住宅街に入ります。蛇行した道です。下町にはこういった、小川を暗渠にした路地が多いです。元々は家の裏側だったのが、暗渠の道ができると次の改築で玄関になります。
古いタバコ屋です。2階の戸袋に家紋が有ります。古い家なんでしょうね。タバコは専売品でした。地域の限られた家が扱っていました。今はもう営業していないようです。界隈は衰退した商店街だと思います。
突然知っている親水緑道に出ました。もう大丈夫です。これで迷うことなく帰れます。
さて、「五分一町会」の謂れは、次の遭遇時に探索してみたいと思います。
気になりますね。調べてみました。
「五分一」というのは税率だったり、水利権や、作物の権利の取り分を表しているようです。
こちらを参考にしました。
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/documents/943/631_10.pdf
よく見つけましたね!
朝からスッキリしました。
税かなあ?とは思っていましたが、結局分からないということですね。
江戸川区は20年くらい前まで住んでいた町です。今でも散髪に行って、その後散策しています。