諏訪台通りの北端です。正面は道灌山です。江戸時代は涼を求める「虫聞き」の場所でした。情緒豊かな歴史的山です。通りは右折して、西日暮里駅横、道灌山通りに出ます。
そんな場所に横断歩道が有ります。狭い一本道です。横断歩道を左に行きます。
車止めが有るちょっとした広場です。入って行きます。
「荒川区立第一日暮里小学校」の表札が有りました。なるほど横断歩道の意味が分かりました。ここは通学路で、校門です。「正直親切」のフラッグが張られています?
門から覗きました。長そうな石段が有って、白い建物が在ります。校舎でしょうか?
広場を見渡すと、ここにも「正直親切」が、石碑として有ります。そしてフクロウの石碑も有ります。何だろう?
「創立百周年記念」の説明板が有りました。えっ⁉「正直親切」は高村光太郎の直筆ですか!そして、彼の母校ですか!更に、フクロウは、校歌に謳われている「一日小(突然の略称です。長いものね)」のシンボルですか!?石彫家の名は知りませんが、高村光太郎は私でも良く知っています。先月墓所を訪ねたばかりです。
これは凄いぞ!ともう一度覗き込もうとしたら、こんな地図が有ります。なるほど、用は無いけど、ここからじゃ良く見えないので、「ひぐらし門」へ行ってみます。ちなみにこの界隈は、風光明媚な情景を眺めていると日が暮れるのを忘れてしまう、「日暮らしの里」と呼ばれています。
諏訪台通りを戻ります。
富士見坂です。
さっきの地図に従ってこの坂を下ります。ここから富士山が良く見えたそうです。
街頭が富士山です。
富士見坂を下って振り返りました。
降りた所は谷中の底の路地です。
ピンクの壁は、枝垂れ桜を見に来る「南泉寺」です。
振り返ります。楽しい塀です。
あの丁字路でしょうか?
路地の突き当りに在りました。第一日暮里小学校です。
ここにも「正直親切」です。
ちょっと得した気分がする散策でした。
高村光太郎と言うと私は智恵子抄が浮かんできます。
こちら大井町には智恵子の入院したゼームス病院の跡地があり、ゼームス坂と名前だけが残っております。そしてその余韻を求めて十和田湖へも足を伸ばします。
そうでしたか、今回の荒川三歩さんの記事のおかげで、新たな気持ちでそちらへと遊びに行きたくなりました。ありがとうございます。
知りませんでした。
てっきり東北とばかり思っていました。
お教え下さってありがとうございました。
千駄木には光太郎の住居跡と、光雲の旧住居が在ります。近い位置に住んでいたようです。是非お出掛けください。