根岸子規庵から葬送の道を踏んでやって来ました。田端の大龍寺です。
門前に石碑が有るので分かります。子規居士墓所です。
中央に子規、右に母八重、左に妹律が養子を取って繋いだ正岡家累代の墓です。
向き合います。以前TVで、人はどうして有名人の墓を訪れるのですか?との問い掛けがありました。・・・語らいに来るのでしょうね。家族の墓と同様に。「台風は大丈夫でしたか?」から始まります。・・・やがて自分にも語り掛けます。
卒塔婆が新しいです。没後120年の法要を済ませたばかりです。生誕155年でもあります。
供花がまだ新しいです。
竹藪に囲まれています。子規庵のようです。
子規が書いた墓標です。
何度も読みましたが、今日も読みます。
「正岡常規又の名は虎之助またの名は升又の名は子規又の名は獺祭書屋主人又の名は竹の里人伊予松山に生まれし東京根岸に住す父隼太松山藩御馬廻加番たり卒す母大原氏に養わる日本新聞社員たり明治三十□年□月□日没す享年三十□月給四十円」・・・40歳を迎える事は無い、覚悟の闘病でした。