荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

水が張られた樫谷棚田/2017年5月

2017年05月16日 | 散文
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗家の風景

2017年05月16日 | 散文
生家の近所に古くて大きな家があります。


ここが生家だけでなくこの集落に住む一族総ての宗家です。
ちなみに、生家はこの家の傍流の分家です。


戦後の農地解放の前までは広大な土地と多くの小作を持っていました。
それよりずっと前は、分家した一族に分け与える、更に沢山の田畑を持っていました。
今は崩れ落ちた塀を放置しています。


この家にはもう跡取りが居ません。


崩れた塀を修理しても次代に引き継ぐ事ができません。


女性一人が住んでいて、それでも宗家らしい佇まいを保っています。






この集落の一族には40歳以下の男子が居ません。


子供は、僅かに二人の女子高生が居るのみです。


私のような都会で就職した末裔に数人の後継男子が居ますが、彼らに帰郷の意思はありません。


滅び行く一族が暮らす限界集落です。

ちなみに、正門脇のこの建物には、「下座敷」があります。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おもや」の風景

2017年05月15日 | 散文
生家は数代前にこの家から分家しました。


生家だけでなく数軒の分家があって、我々分家は「おもや」と呼んでいます。
漢字で書くとすれば、「母屋」ではちょっとニュアンスが違います。
「主家」の方が近い気がします。


長い土塀も重厚な正門も、庭にあった銘石銘木も池の鯉も、もうとっくに無くなっています。
この家は後継者の妹が守っていましたが、彼女が亡くなって以降10年くらい人が住んでいません。
荒れ放題に見えますが、我々分家が時々手入れをしています。


後継者は都会に就職して行った切り帰って来ません。


都会ではもう孫の代になっていて、すっかりあちらに定住しています。

私の生家も他人事ではありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タケノコ掘りに行く/2017年

2017年05月15日 | 散文
生家の畠です。
ここも耕作放棄地ですが、この季節はタケノコが生えます。

今年はタケノコの裏年で、全国的に収穫が少ないとは聞いていました。

でも、去年あんなに沢山大きいのが採れた畠です。
それなりの期待を持ってやって来ました。
掘っています。


誰が掘る?
イノシシに決まっています。


掘ったものの、食べないで放置しています。


彼らはこんな痩せた小さいタケノコは食べません。




至る所を掘り返しています。




ここはもうイノシシの縄張りなのでしょう。
この時期だけやって来る私は彼らの領地への侵入者なのです。


別の畠でも。




散々探してやっとこれだけの収穫です。
しかも、全て痩せて小さい。


去年はこんなに太いのが採り切れなくて、竹が蔓延るのを防ぐ為に、掘らないで切り倒して帰りました。


やっぱり痩せて小さいタケノコは固いですが、それなりに季節の味がしました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

道前平野の麦秋

2017年05月14日 | 散文
愛媛県の今治地区を「府中」、松山市周辺を「道後」、そして西条市の北側の地域、周桑周辺を「道前」と言います。


愛媛県最大の平野で、大穀倉地帯です。


今でも麦作りが行われています。

今日は黄砂で薄曇りですが、フィルター効果で、ちょっと好い感じの絵になっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなに潮が引いた頓田川河口

2017年05月14日 | 散文
ひょいと頓田川に来てみたらこんなに潮が引いています。
満潮時には半分以上潮に浸かる防波堤が、こんな手前で陸地に取り残されています。


画面中央のマンションと左右の防波堤が随分遠くにあります。
ここまで引いたのは初めて見ました。
今日は大潮でしょうか。


ここから見るのは、いつものように長閑な景色です。
大島を初めとするしまなみ海道の島々が霞んでいます。


静かに波が寄せます。
兵市島です。


比企島です。
波を水平に撮ったら水平線が斜めです。


陸側を見ます。
唐子山と右手に霞む霊仙山です。


唐子山の向こうには世田山と笠松山連山、そして遥かに霞む四国山脈です。
ふるさとの海山はいつも優しいです。


時が過ぎて行きます。




さて、帰り際にもう一度と目をやると、赤灯台が夕日に映えます。
去りがたい・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村の鎮守の神様のー3

2017年05月13日 | 散文
前回の続きです。

軽トラの役目とは、
運搬車で押すのもしんどくなった時や長距離を移動する時に神輿を乗せるとともに、スピーカーで祭り歌を流しながら走ります。


勿論、担ぎ手が歌いながら練りますが、少人数なので迫力がありません。
スピーカーの助けが必要ですし、祭り歌を覚えていない者もいます。


自転車で追いかけたけど、「差し上げ」に間に合いませんでした。
差し上げを終えて集落を出て来ました。


もう車に乗せています。


次の集落へ移動します。


軽トラが付いて行きます。


世田山の下を行きます。


すぐに引き返して来ました。


集落の入り口にある神社幕の下で、揉んで差し上げます。
この行為も「宮入り」と言います。
祭りの時には、神社だけでなく各集落の入り口がそれぞれ臨時の神の宿る所となります。


差し上げたら、、、例の新兵器の登場です。
部落役員が出来具合を気にしています。


神輿を乗せて緩い坂道を下って行きます。


次の集落の入り口までこれで行きます。
部落役員もついて行きます。


祭り歌の合いの手に「あれわいさ~、これわいさ~」と歌いますが、今日は「これはいいさ~」と聞こえます。


萌える新緑の中を、たった1基の神輿が往きます。
長閑です。


あ~~っ!!
浅草三社祭りが見たい!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村の鎮守の神様のー2

2017年05月13日 | 散文
大人神輿が降りて来ました。


随分綺麗な神輿です。
私が担いだ神輿から代替わりしたようです。


皆が持った状態で神輿の屋根に鳳凰を取り付けます。


14人全員で担ぎます。


練りながら天に向かって支え揚げます。


境内を練った後集落に向かって出発です。


どうして大人神輿には「だいば」が付かないのでしょうか?


それはさておき、意気揚々と神輿が進みます。


木漏れ日の下を出て行きます。




軽トラが神輿の後をついて行きます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村の鎮守の神様のー1

2017年05月12日 | 散文
今日はめでたいお祭り日です。
綱敷天満宮と同じ日に行う祭りです。

ふるさとは今、一言では表現できない多様な緑に包まれます。


朝から笛太鼓なんて聞こえません。
普段と変わらない静けさの中で、神社幕が風に揺れています。


太平記の舞台である世田山の麓での祭りです。


宮出し前の、神輿の担ぎ手の記念撮影に遭遇しました。
大人神輿と子供神輿を合わせて、たったこれだけの人数しか居ません。
綱敷天満宮の祭りと随分違います。


実は、40数年振りにこの祭りを見ます。
それでも知り合いが2、3人居ました。
近況を報告し合ったりして懐かしいです。


前回は神輿を担ぎました。
拝殿の前でご祈祷が始まるのを待ちます。


部落役員は正装して待機しています。


神職が到着しました。
どこかの神社から出張します。


拝殿前でお祓いを受けます。
最後尾に立っているのは老幼なじみです。


去年宮総代を務め終えた彼は、今年は「だいば」を務めます。
「だいば」は鬼の面を被って、子供神輿の先頭に立って、邪気を払いながら進みます。

「だいば」の漢字は「代番」かも知れません。
「神の代わりに子供を見守る(番をする)」との意味かも知れません。
とにかく祭礼の要職です。
小父さんにはしんどいけど・・・。

部落役員会で祭りの催行と継続を協議した結果、今年は大人神輿の運搬車を作ったそうです。
なんせ、記念撮影の人数(総勢14人)しか担ぎ手が居ません。
交代要員なんて居ません。
やむなしです。


私の時代は、男子の同級生だけで6人も居るくらい、人手が一杯ありました。
その昔は各家の長男しか神輿を担がせて貰えませんでした。
当時担ぎ手は37歳で引退させられましたが、今は希望すればいつまででも担げるそうです。
それでも、14人しか居ません。
現在子供神輿は女子でも担ぐ事ができます。
貴重な戦力です。


永遠に続くかと思うくらい長い時間手を叩きながら、同時に「おお~~~~~」と言って呼びながら、神が降りるのを待ちます。


ようやく子供神輿が降りて来ました。
背の高さがバラバラです。


石段を降りて村を練り歩き(殆ど軽トラで移動)ます。


老幼なじみが先頭を行っている筈です。


この話、続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綱敷天満宮の祭り2017年(新天神)ー5

2017年05月12日 | 散文
獅子が用意されます。




大人達が獅子に入ります。


獅子の上に稚児が乗りました。
三番叟の形態です。


稚児の餅撒きが始まりました。
場内が騒然とします。


大人も近寄って餅を拾います。


縁起物です。


餅が飛びます。


やがて餅撒きが終わると獅子が整列します。


拝殿に向かって菅原道真公に感謝と奉納の挨拶をします。


地元に生まれながら、こんな立派な祭りを催している事に感動しました。
昨日は誰も見掛けなかったのに、こんなに沢山の人が居る事にも驚きました。

我がふるさとは結構素敵です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綱敷天満宮の祭り2017年(新天神)ー4

2017年05月11日 | 散文
畳とマットが運び込まれました。




大技の奉納です。
4段継ぎです。


下から順に立ち上がります。
1段目は複数で支えています。
一番負担を引き受けるのは2段目です。


3段目の足を押し上げます。


2段目の腕に乗ります。
2段目がこんしんの力を振り絞って体が震えています。


仲間が見守る中、3段目が上がっていきます。


3段目が肩に立ちました。


2段目が歯を食いしばります。


4段目の子供を腕力で持ち上げます。
腕がプルプル震えています。
緊張が走ります。


肩に乗せて舞いの奉納です。


更に、頭に乗せます。


頭の上で舞います。
固唾を飲んだ観衆が拍手喝采です。


肩に戻しました。
ほっとした空気が流れます。


その緊張が緩んだ瞬間、蜘蛛の糸テープが舞います。
ハレーションを起こしていますが、これはこれで幻想的な雰囲気があります。


下りる時は気が緩むし、バランスが崩れ易いので危険です。
笑顔の中にも慎重に下ります。


下りました。
子供を抱き抱えます。


成功の喜びに沸きます。
満場の拍手と声援が彼らを包みます。


子供の無事を喜びます。


子供の頑張りを讃えます。

この一体感に感動しています。
またウルッとしてしまいました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綱敷天満宮の祭り2017年(新天神)ー3

2017年05月11日 | 散文
先ほど三番叟を奉納した子供の一人のようです。
おそらく、生まれて初めて繋ぎ獅子を奉納するのだと推察ます。


子供を乗せているのは父親だと思います。
慎重に立ち上がっていきます。

立ち上がった時点で介助の人達が離れます。

大人達に見守られて、父や大人に教わった舞いの奉納です。


まだ上に上がるようです。


肩に立ちました。


まだ上ります。
慎重に動きます。


父の頭の上です。
下では固唾を飲んで大人が構えています。


舞いを奉納します。


下りるのかと思ったら、




次の舞いの奉納です。




また肩に立って、


最後の演舞です。
緊張感と拍手が親子を包みます。


無事役割をまっとうして大人達から褒められている子供の脇で、父が泣いています。

無事に奉納できた喜びと、子供の頑張りと、周囲の人への感謝と、辛かった練習の日々と、子供を怪我させなかった安堵感と、我が子の誇らしさと、色々なことがない交ぜになって泣いています。
私も貰い泣きしています。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綱敷天満宮の祭り2017年(新天神)ー2

2017年05月10日 | 散文
稚児が獅子に乗って静々と登場しました。
天神様に舞を奉納します。


逆光の横顔が凛々しいです。




どうやらこれを「三番叟」と呼ぶそうです。
綱敷天満宮に古くから伝わる奉納の儀式です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綱敷天満宮の祭り2017年(新天神)ー1

2017年05月10日 | 散文
古天神から移動して「新」綱敷天満宮の拝殿の正面に来ると、「継ぎ獅子」の奉納中でした。


繋ぎ獅子を見るのは初めてです。


今治地方の各地に「繋ぎ獅子」の文化がありますが、元々この地にはありませんでした。
17~18年前に今治市で始まった祭り「おんまく」にこの地区は伝統芸能「三番叟」(後で登場します)で参加しましたが、「継ぎ獅子」の迫力に負けてしまいました。


獅子を被らない、三番叟の伝統をそのまま負けん気で「繋ぎ」に発展させた独特の「繋ぎ獅子」です。
従って獅子は登場しません。


繋ぎ獅子の奉納が終わった後、その獅子が舞って、


箱を引いた猿が現れました。


箱は長持ちの代わりでしょうか?


箱からお菓子を取り出して子供に配ります。


さて、お菓子を配り終えたと思ったら赤い絨毯が敷かれて、1頭が上着を着て、お供に花束を持たせて現れました。




仮面を取って彼女を呼びます。


プロポーズしました。


彼女が了解します。


拍手の嵐です。


「おばさん泣いとらい」の声に振り返ると、彼だか彼女だかの母親らしき人がボロボロ涙を流しいています。


私もウルッとしてしまいました。


仲間からの祝福を受けて、


彼に肩車されて退場していきます。


繋ぎ獅子の技がここでも生きているのですかね。




それはそうと、こんなことする祭りだったの?
そんなエセ郷土人の疑問に関係なく、祭りは続きます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綱敷天満宮の祭り/2017年(古天神)

2017年05月09日 | 散文
天神様の神輿です。
ここでも車に乗せて引いています。
地方はどこも担ぎ手がいないですね。


綱敷天満宮の祭りを見るのは50数年振りです。
同じ日に生家の氏神様の祭りが行われる為、小学校の中学年になると神輿の担ぎ手になるので、この祭りは見られません。
梅のご紋が鮮やかです。


古天神の鳥居前です。


古天神の祭りは初めてです。
正面の拝殿前に人だかりがしています。


お神楽の奉納中です。


逆光ですが、構わず撮りました。


出し物が替わります。





古式豊かな、「古天神」らしい催しです。

この後、ここで餅投げがあるそうですが、1km南の「新」綱敷天満宮へ移動します。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする