
10.医王山
医王山には、焼き物にする土と薪が多くあって、瓦や土器類が製造され縄文時代には、菖蒲谷の住民が利用していたと思われる。

医王山は、天智天皇の時代(660年)に百済よりの帰化人により、漢方薬の原料となるセブリやボテン、桔梗の根外の採集ができるので医王山と称していた。

こちらの記事で紹介します。
<筆者>
この山は、白村江の戦いに日本との連合軍として唐と新羅の連合軍に敗れた百済の亡命貴族の指導により、南隣の永納山と連携して城郭を構築した古代山城である事が昭和52年に発見されています。
作者が知っていれば当然その旨の記載がある筈です。
従って、この冊子の作成はそれ以前になされたものと推察します。
百済の帰化人の存在を記載しているのが興味深いところです。