小日向町に来ました。
前回も迷い込んだ街ですが、記憶の糸に繋がる景色に出会いません。
同じ町内で違う路地なのでしょう。
変則4差路(正面の突き当たりは崖の石段です)に出ました。
左手の民間の角に石碑と旧町名案内があります。
先ず町名案内です。
旧茗荷谷町です。
地下鉄丸の内線は崖下です。
丘の頂上の街です。
あのトンネルの上が線路です。
向かい側にはこんな説明板もあります。
日当たりの良い場所だから、大昔から人が住んでいたのでしょうね。
石碑を見ます。
石碑の奥に説明板があって、「転びバテレン」の収容所があった場所との事です。
驚きました。
そんな事をしていると、突然背後から声が掛かりました。
「そこは私のボロ家ですけど」
振り返ると買い物から帰って来たらしい上品な老婦人が立っています。
石碑に行き当って驚いているところだと申し開きすると、「小さい石碑の文字が読めないでしょう、これです」と言って、玄関脇の郵便受けからこの紙を呉れました。
この様な場合に用意していたのでしょう、雨対策でビニールに包んだ十数枚の束から取り出した1枚です。
収容所は、この丘の上の広大な敷地にあったそうです。
「あそこからずっとあそこまで」と指差しながら教えて呉れます。
彼女の説明が続きます。
押され気味に答える私です。
「あの電柱の左の坂を下ると、この辺りで一番古くから住んでいるお宅があります。行ってみますか?」
「はあ、後で行ってみます」
突然彼女が歩き出します。
追いかける私を振り返りながらの説明が続きます。
「外国人の旦那様と奥様が住んでいました。ご主人はもう亡くなりましたけどね」
大きくて立派な家です。
ステンドグラスにはマリア像があります。
収容された人の縁者でしょうか?
「立派なお家ですね」
「この1階の部屋にはいっぱい蔵書がありますのよ」
「そうですか」と答える私を尻目に、そう言いながらインターホンを押そうとしています。
「奥様から詳しいお話が聴けると思います」
大慌てで止める私ですが、それでもインターホンを押そうとします。
「折角のご好意ですが、私はキリスト教徒ではありません。無宗教ですので。初対面のお家にお邪魔してお話をお聴きする程の者ではありません。ただの通りすがりですので、とんでもございません」
慌てながらなので、このようなしどろもどろの話をしてしまいました。
別れ際に聞いた収容者のお墓の跡は見つかりませんでした。