2011年の3月11日から、もう10年が経ちました。震災は、多くの人間の運命を変える出来事でしたが、競馬の世界でも、これにより運命が変わった馬たちがいます。本日は、その中の2頭のお話です。
まずは、2011年の三冠馬オルフェーヴル。ステイゴールド産駒で気性の難しいオルフェーヴルは、5月生まれ(競走馬の世界では遅生まれ)ということもあり、新馬戦を勝った後、2戦目からは幼さが目立って、なかなか勝てないレースが続きました。この時期の2歳馬は、早めに賞金を加算しておかないとクラシックに出られなくなりますので、陣営はかなり焦りがあったと思います。ちなみに、この年は、フジキセキ産駒のサダムパテックが早くから完成度が高く、あのまま中山で皐月賞が開催されていれば、この馬か、あるいは、コーナー4つのコースを巧みに走ることができるディープインパクト産駒のダノンバラードあたりが、有力だったと思います。
そんな時に、あの震災が起こりました。中山でのレースが全て中止、代替で急遽、阪神で行われたスプリングSに出走したオルフェーヴルは、このレースで何とか2勝目をあげて、辛うじて皐月賞の出走権を得ました。あの頃のオルフェーブルにとっては、4つのコーナーの中山1800mではなく、ワンターンの阪神1800mだったことは幸運でした。しかも、本番の皐月賞も中山2000mではなく、府中2000mに替わったことは、まだ幼さの残るオルフェーヴルには非常にウエルカムでありました。
オルフェーヴルは、こうして一冠目をもぎ取って、ダービー、菊花賞と三冠を達成するのですが、あの地震がなければ、皐月賞の行方は恐らく違った結果になっていたと自分は考えています。
もう1頭、運命が変わった馬がトーセンラー。この馬は、きさらぎ賞を完勝したあと、山元トレーニングセンターでの短期放牧中に、あの地震に遭いました。震源地に近い山元トレーニングセンターでは、多くの馬が震災後の津波や火事の犠牲になりましたが、高台に近い牧草地に放牧中だったトーセンラーは、津波の難を逃れることができました。しかし、センターで働く職員たちも現地に近づける状況ではなく、それから数日間は、1頭だけでその孤独な環境を生き抜いたのです。夜は、さまざまな騒ぎや物音に怯えながら過ごしたことでしょう。トレーニングセンターから厩舎に帰還後、暫くの間は、何かにビクつくようなクセがつき、それがレースにも影響を与えたようです。
3歳クラシックはもちろん、その後のGⅠ路線でも惜しいレースが続くことになりましたが、トーセンラーにとっては、あの震災が大きく影響していたことでしょう。それでも、競走馬生活の最後に、武豊騎手とのコンビで、GⅠマイルチャンピオンシップを勝ち、種牡馬になれたことは何よりの救いでありました。